2019年秋頃に目にした劇団地点と元劇団員A氏との係争をきっかけに、差別とハラスメントについて細々と情報収集をしてきました。その過程でまず、女性であるがゆえの自分の被害に気づき、2021年に入ってようやく自分の加害に目が向きました。被害を知った時よりもショックは大きく、2021年の年末ごろに床に突っ伏して、文字通り嗚咽するはめになりました(恥ずかし)。
2021年8月頃から大事だと思ったツイート等を記録してきて、公開しないまま放置していたのですが、2023年12月にまとめ直して公開しました。2022年、2023年の私の発言も少しだけ転載していますが、公開の日付は2021年12月31日にしています。⇒2021年のまとめ
目次
■「議論」という言葉の印象を一新してくれたトークセッション(ZOOM)
・【シリーズ・持続可能な舞台芸術の環境をつくる】 今日から役立つ国際共同の現場コミュニケーション術
https://tokyo-festival.jp/2020/movie/5315/
登壇者(敬称略):田中沙季(リサーチャー、Port B制作)、中野三希子(SPAC-静岡県舞台芸術センター制作)、和田華子(俳優)
モデレーター:相磯展子、田村かのこ(Art Translators Collective)
・世界を結び直すための言葉とコミュニケーション。アート・トランスレーター田村かのこ氏インタビュー。
https://note-infomart.jp/n/naa5275fe72eb
何度見ても学びが深い……英語字幕がつきました😊
登壇者:田中沙季さん(リサーチャー、Port B制作)、中野三希子さん(SPAC-静岡県舞台芸術センター制作)、和田華子さん(俳優)
モデレーター:相磯展子さん、田村かのこさん(Art Translators Collective) https://t.co/XJpoAoSyW9
— 植松侑子◆舞台芸術制作🌈🏳️⚧️💛🤍💜🖤 (@maticcco) March 24, 2021
2021年↓
おはようございます!私の個人的な感触なのですが、私はあのテーマを言葉と数式のままに受け取れていません。というのも最近、私が今まで「議論」だと思ってきた「議論」って、本当の、というか、理想的な意味での「議論」ではなかったのかも…という疑いが、私の中で大きくなっているんですね。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) March 10, 2021
↓こういうコミュニケーションを「議論」と呼ぶのだと勘違いしてきた。ただのパワハラ、言葉の暴力だ。司会(または議長、運営など)が機能していないのも問題。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) November 4, 2021
2022年↓
耳が(目が)痛いです…。私は幼少期から大声で罵倒することも込みの話し合いが日常でした(両親は団塊の世代)。(昔の)演劇の現場で、複数人で本音をぶつけ合うことにも慣れています。でも、それは決して当たり前ないんですよね。猛省し、会話や議論の方法を学んでいます。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) April 5, 2022
2023年↓
↓この番組…まだこんなやり方でやってるのね…。他人の話を遮って、上から目線で誘導尋問みたいな質問をぶつけて…。こういうのを「議論」と呼ぶのをやめて欲しい。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) February 23, 2023
■開く格差/気づかずにすむのはマジョリティ
・2021.05.05「気づいていますか? 現在の格差が「世界恐慌なみ」だということに」
https://gendai.media/articles/-/82764
【特別鼎談】宮台真司×白井聡×斎藤幸平
・ケイン樹里安氏:マジョリティとは「気にせずにすむ人々」ーー #ふれる社会学 のイベントから
https://note.com/julinote/n/n1e83b80755cc
■ルッキズム/いきなり外見に言及するな
フィンランドで気づいたのは、誰も望んでないところで突然見た目を褒めることは相手を一方的にジャッジすることになり失礼にあたるということ。自分の物差しで「細いね〜」とか「肌綺麗だね〜」などと言うのは仲良しだったり相手が望んでない限り不必要。さらにネガティブなことは以ての外。絶対ダメ。
— Minori (@minotonefinland) June 11, 2018
■ユニフォームの男女不平等/女性の容姿の性的搾取
ビキニを拒否したら罰金。
そうかと思えば「ユニフォーム短すぎる」と注意…。
納得できないユニフォーム規定に、女性選手らが「もうたくさんだ」と声をあげています。https://t.co/PNl60qgLwv— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア (@HuffPostJapan) July 21, 2021
ビーチハンドボールのルール確認したら男子短パンはわざわざ膝上10センチなら「長くても構わない」とあるのに女子は「ぴったりとした脚の付け根に向かって切り込んだ形のビキニパンツ」「ビキニパンツの側面の生地の幅は最大10センチ」とあって、趣旨が分からず趣味にしか思えなくてただ気持ち悪かった https://t.co/XAw9m6iJOy pic.twitter.com/NExhfSj2Vv
— § 佐藤倫子 (@sato__michiko) July 20, 2021
■田嶋陽子さんへの謝罪
・「85 年間、ひとり自由に好きな場所で生きる幸せを実践してきた、元祖ジェンダー問題の母、ともいえる田嶋陽子先生」
男らしく、とか、女らしく、は大嫌い。結婚制度は「男のドレイになる」こと。ジェンダーバッシングを受けながらも信念を貫いて、85 年間、ひとり自由に生きる幸せを実感してきた田嶋陽子先生です。 https://t.co/M3Kk01AWb8
— 婦人画報 FUJINGAHO (@fujingahojp) October 24, 2021
しのぶ:田嶋さんが出演するテレビ番組を見る度に「すぐ怒るおばはん」キャラとして扱われていました。それを承知でエスカレートしていく姿に嫌悪感を抱いていたのですが、私が浅はかで、無知だったせいで、誤解していました。今になって彼女が築いてきたことの重要さ、貴重さに気づきました。道化になることも、中傷の対象になることも受け入れて、それを逆手に取って露出してきてくださっていたことに、頭が下がる思いですし、お詫びを申し上げたい気持ちです。
■「ケア」という概念
・長島確さんのトークで「解釈労働」という言葉を知った。デヴィッド・グレーバー著「官僚制のユートピア」より。
https://www.toyohashi-at.jp/event/workshop.php?id=440
・女性差別と解釈労働 / デヴィッド・グレーバー著 「官僚制のユートピア」より
https://note.com/marotaku/n/n2a8fc0f8c325
・書籍「ケアするのは誰か」
https://hakutakusha.co.jp/book/9784768479827/
ジョアン・C. トロント (著) 岡野八代 (訳・著)
日本共産党の新経済提言 2021年9月22日https://t.co/LsILjVLDMl
これ、すべて実現してもらいたい…。ありがたくて涙出そうになった。「ケアをささえる政治に」「ケア労働の待遇改善、社会保障の拡充」…やっぱり「ケア」が重要なキーワードですね。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) September 22, 2021
『ケア宣言』訳者の一人・岡野八代さんの記事が公開されました。コロナ禍の日常からケアの政治へ。今の日本社会を深く見通す力が付きそうです👍
「見えない家事」の存在を無視しつづける「日本の社会と政治」、その致命的な欠陥 @gendai_biz https://t.co/IvBaNfAMae #現代ビジネス— 大月書店 Otsuki Shoten Publishers (@otsukishoten) July 21, 2021
■ジャシンダ・アーダーン首相の「ケア」の実践
“私達は子供に親切で、共感し、思いやりを持つよう教えるのに、なぜか政治のリーダーシップの話になると、そういうものは全くいらないと言います。だから私は違う道を示そうとしているんです。批判する人も出てくるでしょう。でも私は自分を貫くことしかできないんです。”
アーダーン首相 👏👏👏 https://t.co/VS5ZoGTQUk
— さかいとしゆき (Sakai Toshiyuki) (@SakaiToshiyuki0) August 18, 2021
訂正:
親切で、共感し、思いやりを持つよう教える
—>
親切であること、共感すること、思いやりを持つことを教える— さかいとしゆき (Sakai Toshiyuki) (@SakaiToshiyuki0) August 18, 2021
■オードリー・タン氏「一人も置き去りにしない社会改革を実現する」
・オードリー・タン「デジタルとAIの未来を語る」
https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002399.html
第4章:ソーシャル・イノベーション~一人も置き去りにしない社会改革を実現する
「誰か少数のためを思って設計されたものが、想定していなかった人たちを助けることがある」
「私は完全に社会の知恵に頼り切っています。市民の知恵こそが最も大切なのです」
■ドイツ「世界演劇祭2023」/相馬千秋&岩城京子
・「相馬千秋&岩城京子(芸術公社)が世界演劇祭2023 ディレクターに就任!」
http://artscommons.asia/news/1246
しのぶ:彼女たちのステートメントに「ケア」という言葉があって、ちょっと勉強中です。40代のアジア人女性2人が選ばれたことに時代の変化を感じます。喜ばしいことです。
シンガポール大学と共同開講する「パフォーマンス分析」の授業準備中。アマンダ・スチュアート・フィッシャー「ケアのパフォーマンス」、サラ・アーメド「クリティカル・セルフケア」、ホセ・ムニョズ「アフェクト」、マーク・パターソン「触覚」などの理論を通してケアのパフォーマンスについて話す。
— Kyoko Iwaki 岩城京子 (@KIIWAKII) August 4, 2021
世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023
インタビュー記事が本日の毎日新聞夕刊(芸能欄✨)に掲載されております。
先日の悲劇喜劇に続き、日本語で読める記事ですので、ぜひご一読いただけましたら!https://t.co/54VMjBTEmz— 相馬千秋 (@somachiaki) October 11, 2021
世界演劇祭についてのインタビューが、本日付けの毎日新聞夕刊に掲載されました。記者の広瀬さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。https://t.co/MvX4VfJ1EI
— Kyoko Iwaki 岩城京子 (@KIIWAKII) October 11, 2021
世界演劇祭2023のディレクターに就任します。岩城京子さんがチーフドラマトゥルク、私がプログラム・ディレクター、加えて芸術公社がコレクティブとして様々な業務を担います。
世界演劇祭40年の歴史で初の非西洋人ディレクター、緊張しますが、全力でがんばります✨https://t.co/OiyF341hgU— 相馬千秋 (@somachiaki) July 4, 2021
おめでとうございます。なんという歴史的な快挙!本当に楽しみです。
— 原サチコ (@SachikoHaraDE) July 4, 2021
7月にもお伝えした通り、#ゲーテ東京 の長年のパートナーである @ArtsCommonsT の相馬千秋・岩城京子両氏が、初のアジアの女性チームとして「テアター・デア・ヴェルト(世界演劇祭)2023」のキュレーションを手掛けます。毎日新聞 @mainichi で取り上げられています。https://t.co/hHrUjbfcaZ
— ゲーテ・インスティトゥート東京 |Goethe-Institut Tokyo (@GI_Tokyo) October 15, 2021
■その残虐描写は必要か/俳優、スタッフは守られているか
残虐描写への耐性が低くなっている。「敢えてだろうけど、なぜそこまで具体的かつ鮮烈な表現を選んだのだろう」「(フィクションだから)他の選択もできたのでは」という疑問で頭がいっぱいになったりする。特に性描写は「俳優やスタッフの安全は守られていたのだろうか」と勝手に心配してしまう。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) November 7, 2021
しのぶ:metoo運動、BlackLivesMatter運動等のおかげで、被害者・加害者家族やその周囲の人々の痛み、苦しみを想像する機会・時間が増えた。出来事の波及範囲・年数もより広く長くとらえられるようになった(私はそれらを怠っていた)。被害者の心身に刻まれたものは謝罪や賠償があったとしても、消え去るわけじゃない。
しのぶ:芸術の創作現場についても、一人ひとりが伸び伸びと仕事ができる環境であって欲しいと願う気持ちが強くなった。感染者数が激減し制限が解除されても、稽古場写真の俳優・スタッフはマスク着用。胸が詰まる。こんな状態はおかしい。安全な労働環境を求める声をもっとあげていいと思う。もちろん舞台関係者に限らず。
■個人より家族、チーム、クラス、劇団、社会、国…を優先する間違い
↓そうね…日本に生まれ育って「自分よりも他人の方が大事」と洗脳されてきたなぁ。家、幼稚園、学校で心に暴力を振るわれながら「思いやりを持て」「迷惑をかけるな」と教え込まれた。それは間違いだと気づけたのは演劇のおかげ。今、自分の呪いを解くために、毎日ショックを受けながら学び直してる。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) December 22, 2021
しのぶ:学生時代に舞台創作をした際、個人よりも作品が重要視されることが多々あった。面白い作品を見せるために、私自身の欲を満たすために、自分や仲間の心身を犠牲にし、その犠牲は尊いものだと思い込むようにしていた。でもほとんどはただの甘えだし、差別、搾取、暴力、虐待だった。「芸術には犠牲がつきもの」という考え自体が間違っていた。
それに気づかされたのは遠見才希子さんの記事だった。
https://twitter.com/emmi__chan
「意図しない妊娠や、母体の健康上の問題から妊娠を継続できない場合など、人工妊娠中絶にはさまざまな理由があります。一方で、社会的な罪悪視によって、中絶を経験した当事者たちの苦痛が強められていることも、問題だと思っていました」#えんみちゃん #遠見才希子 さん https://t.co/82SYnESCut
— 朝日新聞オピニオン編集部 (@asahi_opinion) July 16, 2021
法務省の役人は「堕胎罪の保護法益は胎児の生命、身体の保護」と言ったが「胎児の定義」は答えられず。
塚原久美さん「国連の(自由権規約に関する)人権委員会での議論はご存じですか? 人権は生まれた後に発生すると結論が出ています。胎児の権利を理由に女性の人権を侵害するのは間違いなのです」 https://t.co/xJX1HXy0L8
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) December 22, 2021
■被害と被害者を無視することの暴力性/「いじめ」
私自身が悪い意味でウブ過ぎる。「イノセント」な傍観者の暴力性に、ようやく身をもって気づけた。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) July 21, 2021
↓権力をかさに着て自分よりも相対的に弱い(であろうとみなした)人を恫喝する人は、端的に弱虫で卑怯で幼稚。そういう人を「面倒くさ…」と思いながらニコニコ顔で受け流して(スルーして)離れてきたけど(ごめんなさい)、もう、やめる。対等に向き合って、互いに説明責任を果たす関係をつくる。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) August 19, 2021
しのぶ:被害者の存在を捨象することの暴力性。軽々しく、ほとんど無意識で。「自分には関係ない」と自分を免罪する。その凶悪さにようやく気付いた。“愛情の反対は無関心”という言い回しでは全く足りない。わかっているのに無視、放置することは殺人に近い。
小山田圭吾氏とその周辺の件は他人事ではなく、私自身のこととして突きつけられている。
無視することや、あったことをなかったこととして扱う(忘れたふりする)ことは相手の存在を消すこと、すなわち殺すことと同じだと思いいたりました。たとえば教室の中で自分の目の前で行われているいじめ(恫喝、暴行、虐待など/人権侵害と暴力)を見て見ぬふりをすることも同じです。
・いじめと呼ぶな暴力と呼べ(澁谷知美 東京経済大准教授(社会学))
https://webronza.asahi.com/national/articles/2012072400006.html
しのぶ:小学校3年生の時に同じクラスだった男の子が、担任の女性教師にあだ名をつけられた。それが嫌だったと作文に書いたら、担任が教室でその作文を読み上げ、つるし上げた。彼が机に顔をつっぷして泣く姿、意気揚々として彼を責める私を含むクラスメート、うっぷんを晴らして至極満足げな先生の顔。今もはっきりと思い出せる。
本当にごめんなさい。私の謝罪なんて意味はないし、もう届かないけど。大前君の痛み、苦しみ、怒り、悔しさ、悲しさを今、想像して、自分で味わっています。本当に辛かったんだね。私は取り返しのつかない加害の過去を背負って生きていきます。
■安積遊歩氏「優生思想とは」
・安積遊歩氏「優生思想とは、「何でも一人でできなければならない」という考えのこと。終わらせるためには、社会の一人ひとりが助けを求められるようになればよい。人はみな無力の状態で生まれ、人の助けを求めて育っていくのだから、その関係性こそを大切にすべきだ。植松だけが問題なのではなく、社会全体が何に侵されているのかを見つめよう。
「優生思想とは、「何でも一人でできなければならない」という考えのこと。終わらせるためには、社会の一人ひとりが助けを求められるようになればよい。人はみな無力の状態で生まれ、人の助けを求めて育っていく」(安積遊歩・文、『季刊 福祉労働』第167号、P42)#私は優生思想を許しません pic.twitter.com/ffNbQO5Vax
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) July 26, 2021
「やまゆり園事件がこの社会に残した課題は、人と人との関係性の中にある優生思想です。みんなが助けを求めることができる社会だったら、あの事件は起きなかったでしょう。」(『季刊 福祉労働』第167号、現代書館、P43)
関連書: 安積遊歩『自分がきらいなあなたへ』↓https://t.co/TDJiFElIrX
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) July 26, 2021
■奥田知志氏からDaiGo氏への問いかけ
・抱樸(奥田知志)「DaiGo氏の差別発言に関する見解と経緯、そして対応について」
抱樸としての今回の「DaiGo氏の差別発言に関する見解と経緯、そして対応について」の報告です。どうぞ、お読みください。https://t.co/S2lsMngVTv
— 奥田知志(NPO抱樸/牧師) (@tomoshiokuda) August 16, 2021
しのぶ:学びとは、「自分を一旦切開して自分の闇を見つめ」て、「自分のしてしまったこと、あり方を一旦否定することから始まる」。「一旦ひとりになり」「傷つけた人々の痛みを全身で感じて」みることであるというご見識に共感します。
■Angama_Marketさんが小学生のころの話
何度も書いたが、おれの小学校は空前絶後の学級崩壊で、窓ガラスは全部割られて鉄板。約半分の教師は精神を病んで半年で入院。音楽室のカーペットには血溜まりの跡。放火や傷害は毎日起こっていたが、養護学級には誰も手を出さなかった。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
雑巾に火をつけて教師の背中に投げたり、保護者に給食のスープをバケツごとかけたり、荒れ方は想像に絶したが、基本的に徹底的に目上に楯突くのが目的で、養護学級の子には本を読んであげたりしていた。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※当たり前ですが、やってたのはおれではありません。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※この調子で中学に上がったら死んでもおかしくないと思い、中学受験をしてなんとか逃げ出しました。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※実際に中学で仏になったのが2人。中学にはさらに酷いのが待ち受けていて、小学校での主犯格は全員逆に猛烈ないじめの対象に。彼らはそれでさらに歪み、少年院行きでそこでそのまま「ヤ」に”就職”。一人は最近Facebookで偶然発見したが、生き地獄を生きていた。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※他の主犯格がどうしてるかは知らない。というか生きてるかどうかも分からない。彼らの親の顔が見たいという人もいるかも知れないが、バブル崩壊で全員親が失踪していたり自殺したりしていて、幼い頃からかなりきつい生活を送っていた。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※おれは幼稚園の頃から彼らのことを知っており、そのおかげで小学校の間はいじめの対象にはならないですんでいたが、彼らが爆発したきっかけは小学校2年生のときの「家族についての作文を書きましょう」という課題だった。あれはあまりにも無配慮だった。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
繰り返すが、
※学級崩壊に関わっていたのはおれではありません。おれは必死で脱出した一人。
※親が失踪したりしてたのもおれではありません。— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
若い頃荒れてた奴が更生すると大したことしてないのに評価される、という予定調和はこの話にはない。学級崩壊の主犯格は幼い頃から生き地獄を生きており、そのときもそのあとも変わらず地獄を生きています。地獄の餓鬼がのたうち回ることで飛ぶ火の粉を、おれは間近で見ていた。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
そして、その餓鬼でさえ養護学級の子たちには一切手を出さず、むしろ優しくしていたという話。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
ちなみに、主犯格の一人が、おれによくくっついて歩いてたやつに絡んできたことがあり、華厳の滝の物見台で殴ったことがある。あれでいじめの芽は摘めたのだが、絡まれたやつの親が、絡んだやつの住んでるアパートを持ってる大地主で、ただでさえ生活が苦しいのに無茶苦茶に家賃を上げていたと知ったの
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
は10年後の話。さらに中学に入ってから、殴られたことを根に持って後を付け狙われたのはおれ。クリシェにはめられる単純な現実は存在しない。おれに言えるのは、養護学級の子たちだけはいじめなかったということで、主犯格の彼らの魂が救われることだけである。親に去れた子供には一生の傷が残る。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
※おれが望めるのは、養護学級の
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
N君というのは信じられないくらい温厚で、おれがどれだけサッカーが下手でも常ににこにこしてくれる天使のようなやつだった。彼の母親が公園の木で仏になったと聞いたのは小4の冬。癌の治療費が出せないのを苦にしたという話だった。前の晩、真冬にも関わらずタンクトップで知り合いの家に挨拶に周って
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
いたという。にも関わらずN君は普通に学校にきて、泣くでも悲しむでもなく、普通に過ごしていた。荒れ出したのは翌年以降。中学に入ってから偶然会ったときには別人かと思うようなバケモノに変わっていた。重篤な傷害事件を起こしたのはその数年後である。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
自分の命に価値がないと思った母親を見て、自分の命にも他人の命にも価値がないと思うような呪いがかかってしまったのかも知れない。トラウマはそうやって人の心を内側から空洞化していく。しかし、一体何がどうしたら彼を救えたのか分からない。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
そして、そんなN君でも養護学級の子には手を出さなかったというお話。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
小6のクラスはヤと見紛うような強面の担任揃いで、それまでのような暴力沙汰は一旦減った。おれのクラスの担任は徹底的な密告、監視、厳罰制度を作り、猛烈に嫌われたが少なくとも流血沙汰は減った。おれもあの先生を毛嫌いし、おれらの卒業とともに転任が決まると歓声をあげた。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
当時逃げ出すために必死で勉強していたおれを目の敵にし、おれが勉強してる内容は全て間違ってると批判したその教師をおれは完全に頭がおかしいと思ったが、今はあの人が何を伝えようとしてたのか分かる。比較的安定した境遇にいるおれは、荒れきった連中を幼稚で狂った生き物としか思ってなかった。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
彼らは、本当は苦しんでのたうち回っており、助けを求めてるんだということをおれは理解してやれなかった。幼稚で自己中心的だったのはおれの方である。卒業とともにいなくなる可能性が高いのなら、もっと何か分け与えられたと思う。社会にはそういうのが必要だった。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
他人を傷つけるやつは、同じだけ自分を傷つけている。悪いやつにはそれなりの償いも必ず必要だが、誰かが赦して受け入れてやらないと悲劇は延々と続く。それは誰にでも出来ることではない。尋常ではない強さが要る。だからこそ、赦して受け入れてやることは本当の強さの証明になる。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
その時までは、周りにいる、自分は関係ない、と思ってる人もまた、多かれ少なかれ自分自身を傷つけて、終わりのない記憶のループ時間に囚われることになる。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
悪人と善人はただの表層に過ぎない。あるのは不運とトラウマで、それがまた次のトラウマを生んで悪の連鎖を作っていく。人は不幸で悪人になるが、自分が善人でいられることは、またこの上ない幸運の上になりたっている。善人でいられるということは一種の恵みであり、
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
ほんの些細なことで悪人にならざるを得ない状況に変わることもある。善人が善であることを振りかざし、悪を赦すのではなく叩くことに使う時、そこに善人は誰一人いなくなる。
— Angama (@Angama_Market) July 19, 2021
昨日の連ツイが完全に文学、という評を文学の先生からいただきました。恐れ多すぎます。
作ったのは僕の町の子どもたちです。僕はただ、記憶の中で手をこまねいているだけです。— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
主犯格の中心だったKは幼いときに父親が他界し、母親が後を追い、祖母の年金と年の離れた姉の水商売で暮らしていた。家族についての作文を書きましょうという小2の課題がきっかけで似た境遇の子どもたちを煽動し、教室の窓からオルガンを投げ落としたりしたのが小3。彼によって家を破壊されて住めなく
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
なり、引っ越しを余儀なくされた家族もいたが、それでも周囲がまだ黙っていたのは多分にその境遇への憐憫があったからなのは間違いない。彼の暴力がピークに達したのは小5のときで、小6になると流血沙汰は一旦減った。しかしそれは学校側の管理が成功したためだけではなく、
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
他の子どもたちが成長していたからでもある。Kの暴力は、突き詰めると親の愛情を求める必死のあがきで、周囲の関心を集めることで絶望的な魂の飢えをごまかしていた。しかし小6になると子どもたちの脳は成長し、彼の破壊行為をもはや愉しいと感じなくなってきていた。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
それまで恐ろしくも可笑しいと思われていた彼の行為は、小6後半には同級生たちから可哀想と思われる対象になるまで乖離していた。象徴的だったのは卒業式。小学校最後の日に中学校の制服で登校する同級生たちの中で、Kだけ普段着だった。Kは、自分以外もまた卒業式という慣例行事を破壊したいと思って
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
いると考えていたのだが、実際にはそう考えていたのはもはやKだけだった。
現在、彼はもう40近いが、まだ年の若いはぐれた連中を”兄弟分”と称して連れだち、10歳のまま止まっている。”兄弟分”もまた、逃げられるようになれば逃げていくだろう。体が年を取り、周りが変わってもKは10歳から— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
逃げられない。そのときに愉しいと思ったこと、そのときやりかけていたもの以上のことを、40になっても全く思い描けないという牢獄に閉じ込められてしまった。そして、彼の人生もそれ以上のものを彼に与えない。一緒に過ごした同級生の子どもたちに追い抜かされてもおかしくない時期である。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
これが、彼が支払い続けることになった代償だ。周囲はどこまでも彼を置き去りにしていく。たぶん本人は何かがおかしいとは感じているが、全貌は見えていない。Kはおそらく50になっても60になっても教師に楯突いたことを誇りに思い、ほくそ笑みながら生きている。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
餓鬼は地獄から出られない。おれはそんな彼を、全く信じないし好きでもないが、心の底から不憫に思う。なんとかして助けてやりたいが、彼にはもはや11歳の生き方が分からない。そんなKを頭の中に住まわせ続けないといけない自分もまた、彼を10歳に置き去りにした罪の代償を支払い続けている。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
そのときおれは、周囲の成長に取り残されるKを見て、自分の成長を誇らしく思い、恐怖の対象ではなくなりつつあるKを意図的に置き去りにしていた。それが彼にふさわしい罰だと思ったが、
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
ここまで大きい罰だとはそのときは感じなかった。自分自身の残酷性に怯えながら生きていくのが、赦さなかったことの代償である。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
残酷な人間が負う代償は、他の人間もまた自分と同じ位残酷だと思ってしまうことである。嘘をつく人間が負う代償は、他の人間もまた自分と同じように嘘をつくと思ってしまうことである。誰もが、他人を見ているようで、鏡に映った自分を見ているに過ぎない。残酷な人は鏡に映る残酷な自分自身の
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021
姿に怯える。どこまで行っても、この世界は自分との対話だ。だから、他人を赦すことは自分を赦すことに他ならない。成仏させる、に近いかも知れない。
— Angama (@Angama_Market) July 20, 2021