【レポート】新国立劇場演劇マンスリープロジェクト・トークセッション「かさなる視点―日本戯曲の力―」05月13日(土)18:00~新国立劇場小劇場

 新国立劇場演劇部門のシリーズ企画「かさなる視点―日本戯曲の力―」の3作品の演出をされる3人の演出家(谷賢一/上村聡史/小川絵梨子)と、芸術監督の宮田慶子さんによる無料のトークセッションを拝聴しました。過去のレポート⇒ ※すべて非公式です。

 小川さんが演出された『マリアの首-幻に長崎を想う曲-』が上演中の小劇場で行われました。『マリアの首』は凄い公演でした! 幕開けから心をわしづかみにされました。『城塞』に続いて感じたのは、よく海外のアーティストと新作を発表していた時期の新国立劇場の空気です(栗山民也さんが芸術監督だった頃)。あの、挑発的で、少し不穏で、何が起こるか予想がつかなくて、ドキドキしながら目の前で起こることを共体験するような、劇場! 初めて演劇を観る方にもお薦めしたい、事件性を感じる舞台です。東京公演は5/28まで。兵庫、豊橋公演もあります。

 以下、私がメモした内容です。※正確性は保証できません。「だ・である調」「です・ます調」混じりです。

 宮田:3人の、30代の演出家に、昭和30年代の日本の戯曲に挑戦していただきました。3が3つ重なってます(笑)。日本はどうしても新作至上主義で、上演が終わったら忘れられていっちゃう。先輩方を見てしみじみ思っていた。もったいないことです。

■『白蟻の巣』を終えて

 宮田:上演を終えてみてどうですか?『白蟻の巣』を選んだ理由も教えてください。
 谷:『白蟻の巣』は1955年の戯曲。古い血と新しい血、許すことと許さないこと等が現代にも通じる。そして寛大さ、寛容さというのも自分にひっかかった。細かく厳しく許さずやるのがいいのか、自由を認めるのか。お互いに無関心であるような、今の社会とも関係がある。だから今と地続き(の戯曲)に感じた。
 三島由紀夫の言葉は当然大変だけど、なんとか乗りこなせたのではないか。1か月半という(長い)稽古期間で、表面だけじゃない部分を役者と掘り起こせた。
 三島のテーマがどう受容されるのか、客席の世代間差が気になった。若い血が古いものに異議を唱えていく芝居なので、受け取り方の違いは大きかったと思う。歴史の感じ方にも世代間ギャップがある。新国立劇場の客席は高齢の方、中高年の方が多い。学生にも来てほしい。安いZ席(税込1,620円)もある。もっと勇気をもって古いものに触れて欲しい。
 宮田:演劇界の新作偏重はやはり否めない(だからこそ今回の企画があった)。3人とも近代古典を現代演劇にしてくれた。
 谷:今回のような企画はとてもいいこと。継続が課題。

■『城塞』を終えて

 宮田:『城塞』は昭和37年に書かれた。あと2年で東京オリンピックという時代の戯曲。
 上村:今の視点から戦後民主主義を考察するという命題が浮かんでいた。1945年~1969年までの日本の戯曲を読んだ。敗戦、朝鮮特需、安保闘争(運動)という時代の流れの中、社会主義演劇からアンチ・テアトルへ移る時期。新しい表現の模索もしていた。『城塞』はソ連の侵攻の日を(劇中劇で)繰り返す芝居で、(主人公は)自分の戦争責任を問わなきゃと思いながら、特需に溺れている。この矛盾が現代に通じると思った。
 安倍公房作品には(戯曲も演出も)独特の方法論がある(だからやりづらい)。千田是也演出もあったけれど、イメージが強い作家で文体も確立されている。三一致(さんいっち:一つの場所で一日で一つの物語が完結すること)ができればいいかと思ったが、そうはいかなかった。(稽古場で試行錯誤して)動きを重ねて固めていくと、文体とケンカするので、俳優の気持ち(内面)を採用できないこともあった。『城塞』の出演者は平均年齢高めのチームだった。辻萬長さんとたかお鷹さんという強烈な先輩がいらした(笑)。衝撃的な先輩たちにお知恵を拝借しました。
 自分の転換点となる公演。創作活動いおいても、お芝居に対する姿勢も。ベテランの姿勢に学んだ。このチームだから積みあがった。
 谷:そういえば年配の方のほうが若者より柔軟だと思うことも多い。
 宮田:昭和30年代は演劇も戯曲も過渡期だった。リアリズムから象徴主義、そしてアンチテアトルへ。ものすごく実験している時期。『城塞』も果敢に挑戦しないといけない戯曲だと思う。小説『砂の女』と同じ年に書かれている。すごく冒険している。
 上村:(『城塞』には)「自分の書いた作品が世界を変えられる」という熱さがある。生半可では太刀打ちできない熱量も。

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■上演中の『マリアの首 -幻に長崎を想う曲-』

 宮田:『マリアの首』は今まさに上演中。4日目ですね。
 小川:本当に難しかった…(×3~4回)。役者さんとスタッフのおかげです。戯曲の正解が分からない。自分がどういうストーリーを語りたいのかが、(心に)ひっかかるまで、自分の中に地図が出来るまで、すごく時間がかかった。私たちの中で見つけていかなければならないものの物量が、今までの比ではない。長崎弁も全然わからないし。観念的なことも多い。感覚でつかめても、裏打ちができるまでが大変。稽古初日には(俳優の)皆さんに「(こんなに難しい戯曲を)よく引き受けてくださいました」と挨拶しました。自分も背負わなきゃダメだけれど、舞台に立つのは役者だから。
 宮田:意地悪なほど実験してるよね。会話がいきなり一人称の詩になるとか。(『マリアの首』の物語では)浦上天主堂という自分たち(長崎の人々)の文化の象徴が被曝して焼けただれてしまった。日本という国の問題でもある。残すのか、壊して新しくするのか。
 (宮田or小川):照明の服部基さんが「詩が観念的に書かれていても、役者は肉体化したがるものだから、難しい」とおっしゃっていました。。
 小川:もう、これが自分の精一杯です。初演では27人出演してましたが、今回は10人にしぼって男性はダブル(2役)にしました。ギターは芥川也寸志さんがやってらしたんです。資料は沢山調べたんですが、音は残ってなくて(音楽にも苦労した)。

■『城塞』の美術はト書きと全然違う

 宮田:『城塞』のような戯曲の言葉(セリフ)は、普通の肉体ではとても支えきれないところがある。
 上村:俳優が楽(らく)してしまうとダメだと思った。戯曲のト書きにはソファ、扉があるんだけれど、そういうもの(=助け)があると言葉が立ってこない(だからなくした)。生活感をなるべく廃した。ト書きにある赤じゅうたん、ウィスキー(の瓶)なども、全部とっぱらってやりました。(俳優とセリフの)摩擦は起きるもの。「様式」で行くか「世話」で行くかの選択ですよね。
 今回の座組みは言葉に疑いを持っている人が多かった。「なんだこのセリフは(ありえない!)」とか。自分も戯曲を疑ってかかって率先して悪口を言うようにした(笑)。それで発見していくことがあった。「このセリフは自然に言えない」ということがありますね。たとえば踊り子の「酔っぱらっちゃう1秒前かな」なんて、普通言わないよ!とか(笑)。安倍公房戯曲に限らず、岸田國士、宮本研だとまた全然違いますし、ト書きへのアプローチは作家によります。
 宮田:ト書きの指定は色々あります(でもそれに従う必要はない)。戯曲をどう読んだかが、空間の指定にあらわれる。
 上村:自分が世界をどう見ているかによる。ライブ感覚というかインスピレーション。今回はその読み(予想)が稽古場でうまくはまった。
 ⇒『城塞』のレビューにシアタートークの記録あり。

■『マリアの首』の美術/ブレーンとしてのスタッフ

 宮田:『マリアの首』もト書き通りの美術ではないです。
 小川:美術は堀尾幸男さんです。私が最初に言ったイメージは盆で、抽象というぐらい。ト書きを読み解くのも大変で、挫折しかけました。最初の1ページだけ読んで、閉じたこともある。「ここどこ?これ何?」という感じ。(部屋の)中か外かもわからないし。
 宮田:意味がわかっていても、“体をとおす”となると(読み解くのは難しい)ね。

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 上村:新国立劇場の小劇場って小劇場というわりに実は中劇場ぐらいの大きさがある。自分が演出した『アルトナの幽閉者』も『城塞』も閉じた美術だった(ここからここまでという風に空間をくっきりと制限した)。『マリアの首』の登場人物は今を生きたい、でも死にたいほどの過去もある。そうやって引き裂かれていくエネルギーが強い。そういうエネルギーを持った人々が動くには、このぐらいの(広い)空間が必要だったんじゃないか。見てて心地よかった。
 小川:スタッフさん、舞台部の方々のおかげです。
 宮田:ブレーンとして、いてくれるからね。
 小川:堀尾さんのこの装置(中央にある回転する台)のイメージは「バラック」。でも最初は何もなくて、開帳場しかなかったんですけど、それは無理だな…と思って。やっぱり電柱とかがあると、すごく助けになるんです。澁谷壽久舞台監督も(アイデアを出してくださった)。実は、盆、開帳場、早替え、雪の全てが(自分にとって)初めてでした。衣装はなるべく少なくする方だし。自分がパニックになっちゃうから。
 上村:最後の雪の場面が良かった。男女も何もかもが、全部ひっくりかえる。雪の降らせ方がいい。舞台面側に降らせたから、全部が真っ白になった(塗りつぶされた、刷新された)。
 小川:雪を降らせる方法も服部さんのアイデア。最初は片側(下手側)だけ降らせるとか。凧も堀尾さんのデザインです。忍(伊勢佳世)が売ってる本も○○さん(お名前を失念)が作ってくれて。忍が売ってる「ゼリー」も何だかわからなかった。「避妊薬」だけれど(本当にそうか?とも考えられるから)。役者さんが資料を持ち寄ってくれたりした。

■『白蟻の巣』の美術の仕掛け/批評性を持って挑まなければ

 宮田:装置といえば『白蟻の巣』は家具がスーっと動きましたね。
 谷:「見える視点を変えたい」ということは最初に話してました。盆も考えた。実際は家具を床下のワイヤーで引っ張ってるんです。もっと縦横無尽に動くこともできるけど、一週間ぐらい悩んで「近づく、離れる」という一直線にした。戯曲を読めば一杯飾り(全幕を1種類の美術で上演すること)を想像するけど、2時間半の上演には厳しいと思った。俳優は予想外の装置に驚いたようだったけど(初めて教えた時、誰もが黙って凍った)、「素舞台の方が俳優が立つ」という平田満さんのひとことで、納得したようでした(笑)。さすがは、つか芝居をやってこられた方。

 宮田:『城塞』の窓に映る映像はどういうコンセプト?
 上村:写実じゃ追いつかない、俳優を咲かせないといけない戯曲。ト書きだと真ん中にドアがあってその両側に窓がある。空間としておかしいことを示してる(ドアの向こうが部屋ではなく外だから)。でも2017年にそういう装置ってどうなんだろう(古い)。映像はユートピアでもディストピアでもどちらでもよくて、リアルより漫画、アニメのタッチ。「紙でできたお城」のイメージ。ブルーや紫にも染めた。ここまでやってもこの戯曲は耐え得るんだという感覚があった。 

 (宮田or上村):この3人の劇作家は果敢に冒険していた。自分たちの方が培われた演劇論に収まってたかもしれない。近代演劇の手法があって、それをベースに、表現へと進んでいっている。
 上村:3人の印象を一言で(乱暴に)言ってしまうと、三島由紀夫はキザ、安倍公房は意地悪、田中千禾夫は道徳観を押し付けてくる(笑)。そういう批評性を持って挑まないと、できない(それほどに手ごわい)。それが今やる意味だとあらためて思った。
 宮田:疑ってかかること、批判性を持ってやっていくことは大事。3人の劇作家はそれを60年前に既にやっていた。凄い。この後にアングラ演劇が生まれていく。

■再演の重要性とその方法

 宮田:今後、日本の演劇に期待することは?
 小川:自分は80年代の演劇にどっぷりはまっていた。(日本は)劇作・演出家が多い。書いた人が演出するのが一番面白いと思うこともある。劇作だけをやる人が増えて欲しいと思う。今も大勢いらっしゃるけど、もっと。劇作家と一緒に作りたい。上演に至るかどうかは別としても。
 谷:予想しきれないものが出てきてほしい。演出家が想定しないような戯曲が。日本の劇作家は年に5~6本書かないと食っていけない。1本傑作を書けば再演が続くようになるといい。遠い国に別荘も持てちゃうアメリカン・ドリームは実際にあるし。日本は新作偏重主義から再演に舵を切る必要がある。
 小川:レパートリーもいい。作品を育てるのが大事。1か月稽古して3週間上演した時に得たものってものすごく大きい。
 宮田:再演の稽古って深まるのよね。
 上村:『炎 アンサンディ』は39シーンもある、転換が多い作品。同じキャストでの再演までに2年半あって、それぞれに自主稽古してきたみたいだった。
 宮田:咀嚼され、熟成されるんだよね。
 谷:『炎 アンサンディ』は初演を観てすごく良かった。再演は被ってて観に行けなかった。同じキャストじゃなくても、同じ演出で違うキャストで上演してもいいんじゃないか。
 宮田:残念ながらお客さんは(再演に)来てくれないんだよね。自分には10年上演し続けて5年に1度東京公演をした作品もあるんだけど(再演に来てくれない)。
 上村:再演は健康診断みたい。2年半経って自分がこうも変わるのかと知った。再演と言いながら新作を作ってる感覚だし。「(俳優に)あいつ、こんな風に変わりやがった」とも思うし(笑)。

「マリアの首 -幻に長崎を想う曲-」
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007981.html
http://stage.corich.jp/stage/81737

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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