愛知県芸術劇場シニアプロデューサー、あいちトリエンナーレ2016キュレーターの唐津絵理さんのツイートを機に、私も東京の俳優の現状について考えていることをつぶやきました。長年言われ続けていることで、同じ議論が繰り返されているように思います。自分の備忘録のための投稿です。
今日はダンスを見た後に、演劇関係者と最近の演劇について語るということが2度ほど。いずれの方も日本の俳優の質について懸念されていたわけですが、最終的にはダンスも演劇も専門の養成機関がないという結論にいきつくわけです。
— 唐津絵理 (@eri_karatsu) 2015, 10月 10
@sakamotoplus 日本には能や文楽などの伝統芸能や各地域の芸能で確立されたものがあるだろうと思います。私は現代演劇のストレート・プレイ(明治以降日本にきた西洋のセリフ劇)の基礎を学ぶ学校があって欲しいと考えてます。自然発生に任せてきた結果が今の状況なのだと思います。
— 高野しのぶ (@shinorev) 2015, 10月 11
@sakamotoplus 演劇系大学の公演を見てもわかるように、シアターガイド11月号の英国演劇学校特集にある「自分以外の何かに変身するために必要な技術や技能」「役柄と自分自身とを共存させる術」を長期間かけて俳優に教える養成所は、東京だと新国立劇場演劇研修所しかないと思います。
— 高野しのぶ (@shinorev) 2015, 10月 11
※演劇系大学の公演とは演大連『カノン』のことです。
※シアターガイド2015年11月号には↓5ページに渡る「英国演劇学校特集」があります。
@sakamotoplus 確立された演技の方法論がないからこそ、自由な表現が生まれるという考えを否定はしません。でも海外招聘作品や留学を経た日本人俳優の演技を観るにつけ、教育の重要さを痛感しています。※あくまでも現代演劇のストレート・プレイの話です。
— 高野しのぶ (@shinorev) 2015, 10月 11
@sakamotoplus たぶん「基礎」の考え方が違うのだろと思います。すみませんが、これ以降はお返事できないです。
— 高野しのぶ (@shinorev) 2015, 10月 11
↑訂正:「違うのだろ」→「違うのだろう」
ダンスの場合、基本は公的な機関でダンスのテクニックだけではなく、芸術全般さらに教養も学ぶことが重要です。確かに日本の教室文化はコンクール受賞などに多大なる貢献をしてきましたが、プロとして必要な技術以外のことはほとんど手つかずです。 https://t.co/sc9uP1mbAa
— 唐津絵理 (@eri_karatsu) 2015, 10月 11
以下、CINRA「新潟市長に学ぶ「わけのわからない」アートと行政の楽しい関係」より引用します。
金森譲:日本には素晴らしい劇場がたくさんありますが、そこで展開されている文化政策はまだまだ趣味のレベルだと思います。欧米のコンテンポラリーダンスは、長い時間をかけてある種の型を習熟し、そこを打ち破ることで新しい価値を創造してきました。しかし、日本のコンテンポラリーダンスはその型を極める前に、型破りの領域に踏み込んでしまったので、欧米の質の低い物真似になってしまったんです。コンテンポラリーダンスに憧れて始める子どもは多いけれど、日本では質の高い教育を受けることができず、本当に極めようと思ったら海外に行くしかありません。そして欧米に行った舞踊家が日本に戻り、「このままではいけない」と言い出しているのが現在です。みんな変えていこうと一生懸命エネルギーを放出しているのですが、文化政策という大きな軸がない為に、そのエネルギーが拡散してしまっているんです。
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