悲劇喜劇2014年4月号のタニノクロウさんの寄稿に、大きな衝撃を受けました。タニノさんにとって作品を作るとはどういうことなのかを、簡潔に書きあらわしてくださっています。そのことをずっと書き留めておきたいと思っていたのですが、今になりました。
私は、毎月メルマガを発行していることもあり、自分がどんな作品を観たいのかを、その時ごとに考えてきました。今は(たぶん昔から)、演劇とは人間と人間の出会いであると思っています。タニノさんのこの文章を読んで、自分はこれでいいのだと納得できました。
また、「自慰行為」という言葉について、私はその意味をよく考られていなかったことがわかりました。「(あんなにつまらない芝居は)作る側のオナニーだ」とか、よく悪口として使われますよね(なぜオナニーが悪いことだ印象づけられてきたのかも、疑問に思うところですが)。それは、自慰行為についてわかっていない、軽率な言葉であるとわかりました。
以下、ごく一部を引用いたします。できれば全文をお読みになることをお勧めします。
●悲劇喜劇2014年4月号 特集=わたしの2014
「私の二〇一四年、これからのこと」
タニノクロウ(劇作・演出・庭劇団ペニノ主宰)
「私は本物の美(作品)というのは自慰行為を極める事だと信じています。演劇はポケットに入っているゴミほどの価値もないコスモポリタニズムで生み出されるべきではありませんし、ましてや馬鹿タレント共の暇つぶしの場所でもありません。ただ圧倒的なオナニーをする様を見せつけることです。人間は自分の脳の中に記憶されていること以外発想出来ません。ですから、通常作品を作るには、もっとも記憶が豊かに残っている部分を使わざるを得ません。それはその人自身の個人史にほかなりません。井戸の中から見上げた空の色の変化、気温によるコケの成長変化、匂い、湧いてくる虫たち、壁面の経年変化、風が入ってきた時の僅かな音の振動、その全ての時間の揺蕩(たゆた)う姿を熟知する蛙になるのです。蛙が大海原を知ることに何の価値があるのでしょうか?それは長続きしない、一時の流行病のようなもので、結局アーティストは自己に帰化すべきものです。
まとめさせて頂きますと、つまり、私の二〇一四年とこれからは極めて単純で『庭劇団ペニノは回転舞台「はこぶね」を使って数年に一度自慰行為極まりない新作を作る』です。
多分この先ずっとそうなります。」
※上記引用はごく一部です。
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