【稽古場レポート】こまつ座『母と暮せば』09/18すみだパークスタジオ

 2010年に亡くなった劇作家・井上ひさしさんの戯曲を上演するこまつ座が、井上さんの原案を映画化した山田洋次監督作『母と暮せば』を舞台化します。脚本を手掛けたのは青森の劇団・渡辺源四郎商店の畑澤聖悟さん。演出は栗山民也さんです。

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 こまつ座の代表作『父と暮せば』は、原爆投下後の広島に暮らす父と娘の二人芝居。それと対を成す『母と~』は、長崎に住む母と息子の物語です。母を富田靖子さん、息子を松下洸平さんが演じます。

●こまつ座『母と暮せば』
 2018年10月5日(金)~21日(日) 会場:紀伊國屋ホール(新宿)
 ≪東京、茨城、岩手、滋賀、千葉、愛知、埼玉、兵庫≫
 出演:富田靖子、松下洸平
 原案:井上ひさし 作:畑澤聖悟
 演出:栗山民也 協力・監修:山田洋次
 一般:6,000円 U-30:3,500円(観劇時30歳以下)
 ※上演時間は2時間以内のようです。

写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子
写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子

 初日まであと約2週間半という時期に、物語終盤の繰り返し稽古を拝見しました。“地獄”を知った平凡な親子が、夢を見て、理想を語ります。事実を語る血の通ったフィクション(=虚構)に落涙の連続でした…これは…傑作誕生の予感!!

 舞台は終戦から3年後、1948年の秋の長崎です。1人で静かに暮らす伸子(富田靖子)の前に、8月9日の原爆投下時に死んだ医大生の息子・浩二(松下洸平)が現れます。伸子は毎日欠かさず浩二の遺影にお供えをしており、浩二はそんな母のことをずっと見守っていたようです。2人はキリスト教信者で、浩二の祭壇にはマリア像が見えます。

 稽古場に入るなり舞台上の富田さんと松下さんが目に入って、その清らかな姿に一瞬、息を呑みました。まだ演技の準備段階なのに、お芝居の空気が私の中に入り込んできたようです。終盤のシーンの繰り返し稽古では、さらに魅せられました。弱さを隠さず、傷つきやすい柔らかな状態でいてくださるから、吸い込まれるように惹きつけられたのではないでしょうか。2人の俳優は役人物が見たこと、聞いたこと、体験したこと、そして本当の気持ちを正直に語ろうとして、まっすぐに相手と向き合います。その姿は凛として潔く、目と声は澄んでいて、ひたすら、美しい!

 富田さんは少女のようでありながら、母性がふんわりとにじみ出ています。そして可憐さは衝撃レベル! 私、フォーリン・ラブしちゃうかと思ったわ!(笑)
 舞台出演は7年振りだそうで、個人的には映画「きみはいい子」↓(スーパーの店員・櫻井役)の繊細な演技が特に印象に残っています。

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 松下さんはこまつ座『木の上の軍隊』(⇒稽古場レポート)の好演が記憶に新しいですね。同じく栗山演出の『スリル・ミー』(⇒2018年12月に上演あり)、『アドルフに告ぐ』(⇒稽古場レポート)や、松本雄吉演出『十九歳のジェイコブ』、森新太郎演出『TERROR テロ』等でも、全く違う種類の人物を鮮烈に演じてくださいました。今回の医大生の幽霊役は、さわやか好青年ど真ん中! 清潔、清廉、素直で、可愛らしい姿にうっとりしてしまいます。そして、いつも声に力があるんですよね。

 母と息子の会話は互いに懸命、一途で、発せられた言葉は空間にしみこむように伝わってきます。戦時中よりも貧しく厳しい食生活や、浩二とその婚約者・町子との甘酸っぱい恋の思い出、伸子に思いを寄せる“上海のおじさん”との温かくて微笑ましいエピソードなど、庶民の暮らしが生き生きと立ち上がりました。戯曲ではおにぎりやお味噌汁といった、日々の食べ物への愛情もたっぷり描かれており、井上ひさし作品らしさも健在です。キリスト教信者への偏見ゆえに2人が差別され、いじめられた過去も、懐かしい回想に含まれています。

 伸子の目撃証言として語られる原爆投下直後の長崎の様子は、まさに“地獄”。実感をこめて、しかし冷静に、情景を伝えることを徹底していきます。

 栗山:長崎では一瞬のうちに6万人が溶けた。事実を述べて。悲劇の空気を使わない。怖い事実を正確に伝えていくこと。

チラシと台本
チラシと台本

 “原爆障害調査委員会”が新生児の調査協力を依頼してきたことに、助産婦の伸子は強く、激しく憤ります。

 栗山:「馬鹿を言うな!」というセリフで、母の心の声が炸裂する。脳にはないボキャブラリーが、本当に思ったことが、出てくるんだね。

 原爆症で亡くなった人の遺体を解剖し、その一部分をアメリカに送ったという事実にも、怒りが沸き上がります。人間の上に爆弾を落とし、落とした側がその遺体を標本にするなんて…。

 栗山:広島、長崎、沖縄、福島…日本は犠牲の上になりたっている。当時のGHQにとっては「被爆者=貴重な標本」なんだよね。「犠牲」と「標本」は同じ響きになる。遺体は「調査のために」解剖されて、「ボロボロに刻まれる」。それが戦争。人体実験も当たり前のようにやっていたんだ。

 浩二は、自分の母が助産婦であることを誇りに思っていました。だから伸子が長らく仕事を休んでいることを心配して、理由を聞き出そうとします。伸子が何度も躊躇しながら少しずつ語った理由は、とんでもなく理不尽なもので、無知から生じる偏見、被爆者差別といった、現代にも通じる問題が浮かび上がります。

写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子
写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子

 爆発の瞬間に長崎医大の教室にいた浩二が、どのようにして死んだのかが、浩二自身の体験談として明かされます。死の瞬間を再現するのはフィクション(=虚構)だからできることであり、不可能への挑戦とも言えます。

 栗山:一瞬の間に、太陽2つ分の熱量が降ってきた(←井上ひさし作・朗読劇『少年口伝隊一九四五』(⇒稽古場レポート)でも描かれています)。周囲360度から熱を浴びて、一瞬にして吹っ飛ぶわけだから、日常生活にはない動きがそこに現れるはず。
 (爆風が吹き、建物が倒れ、火が出て)一瞬のうちに、折り重なるように、悪魔の手が襲い掛かった。それは本当に一瞬の間だったんだ。嗅覚、視覚、聴覚が、パラパラと乱反射しているのを、演技で具体的に提示していこう。人間が燃えるとき、生と死がぶつかり合っている動きをして。…難しいよね(笑)。

 栗山:(俳優は舞台上で)出会ったことのないものと出会わないとだめ。毎日、即興でいい。戦う時間にならないといけない。ライヴのセッションだと思って。今のコンテンポラリーダンスは、たとえば「アウシュビッツ」というタイトルだけで、踊りをつくったりする。“観客に見せること”ではなく、“自分の中に起こったこと”として肉体が動くように。

写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子
写真左から:富田靖子、松下洸平 撮影:宮川舞子

 あまたの無辜の人々が原爆で死んだことは、避けられない“運命”だったのか? だとしたら“神様”なんて存在するのでしょうか…?

 伸子のセリフ:「運命? (略)うちはそうは思わん。台風や津波は防ぎようのなかけん運命やけど、そうじゃなかでしょ。(略)あれは人間の仕業ばい」
 浩二のセリフ:「見えんもん(=神)はわからんばい」

 あまりに残酷で理不尽な仕打ちを受けて、とめどない怒りと悲しみに翻弄されれば、どんなに敬虔なキリスト教信者であろうと、信仰に疑いを持ってしまうかもしれません。伸子も浩二も“神様”への疑いを口にし、それはそのまま、観客への問いかけとなります。三好十郎作『浮標』にも「神様は、在るの?」というセリフがありました。

 栗山:“神の摂理”の問題なんだね。

 私はこのお芝居に、人生をかけて問い続ける疑問への、ひとつの応答があったように思いました。ぜひ本番をご覧になって、味わって、想像してみていただきたいです。解釈は観客の数だけ生まれるだろうと思います。私の場合は、“現実という地獄”の中に居る、“目には見えない神様”を見つけさせてもらえたと感じました。見えないものを信じる時間は、すなわち演劇です。

写真左から:松下洸平、富田靖子 撮影:宮川舞子
写真左から:松下洸平、富田靖子 撮影:宮川舞子

 伸子と浩二は自分で考える理性と勇気を持っていて、頭でっかちにならず、感情に蓋をせずに、意見を言うことができます。他者を思いやり、社会の中で孤立せずに支え合って生きる、心優しい“理想的な市民”です。純粋に愛し、求め合う母と息子もまた、“理想的な親子”と言えるでしょう。本音で話し合った結果、2人がある変化を起こすのも“理想的な対話”ですよね。つまりこのお芝居は、会えないはずの2人が会えたことも含め、“人間の理想”を描いているのだと思います。“夢”と言ってもいいですね。

 しかしながら、観客に幸福を与えるだけの、やわな作品では決してありません。戦争の“地獄”をこれ以上ないほど残酷な描写で伝え、人間の弱さゆえの醜悪さも容赦なく描いているからです。そして、楽観も悲観も両方ふまえた上で、「しあわせは生きている人間のためにある」と全ての生存者の命を賛美しながら、無数の死者の声を広く、長く響き渡らせようとする祝祭劇だとも思いました。

 個人的な感触ですが、今の東京には、薄汚れた現実を露悪的に見せつけて、愚かな人間をせせら笑うような言論、作品が溢れているように思います。そんななかで堂々と、高らかに、一点の曇りもない理想を示してみせる姿勢に、ただならぬ決意を感じ取らずにはいられません。人間は高い理想を抱いてもいい、叶わぬ夢を見てもいいのだ、たとえば日本国憲法の前文のように。いやむしろ、理想や夢が無ければ、人間は生きていけないのだ…それを必死に、伝えようとしてくれているのではないでしょうか。
 

 
 休憩時間に現場の声を拾い聴くことが出来ました。稽古場にいらした山田洋次監督に様子を聞かれた松下さんは、元気に「…大変です!」とひとこと。富田さんは「これ、1日2回やると、(私)どうなっちゃうんだろ…」とつぶやかれていました。こまつ座社長の井上麻矢さんは「若い人に観てもらいたい」とおっしゃり、私も深く共感しました。

 最後は栗山さんの言葉で、この稽古場レポートを締めくくりたいと思います。

 栗山:終戦から73年経っても、今だに原爆症で死ぬ人がいる。本当に死に続けているんだ。その確証を持ってセリフを言って。この劇はそのまま現代劇になるんだよ。

 【チケットのお問い合わせ】
  ・こまつ座 電話 03-3862-5941
  ・こまつ座オンラインチケット:https://www.e-get.jp/komatsuza/pt/

 ※『母と暮せば』には小説版(山田洋次、井上麻矢著)↓もあります。

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 ■ニュースなど

 ↑記事はこちら:http://blog.livedoor.jp/andyhouse777/archives/66292872.html


 
124回公演
≪東京、茨城、岩手、滋賀、千葉、愛知、埼玉、兵庫≫
出演:富田靖子、松下洸平
原案:井上ひさし 作:畑澤聖悟 演出:栗山民也 協力・監修:山田洋次
企画:井上麻矢 音楽:国広和毅 美術:長田佳代子 照明:小笠原純 音響:山本浩一 衣裳:前田文子 方言指導:柄澤りつ子 時代考証:青来有一 医学考証:大石和代 宣伝美術:安野光雅 演出助手:坪井彰宏 舞台監督:村田旬作 制作統括:井上麻矢 制作:若林潤 遠山ちあき 嶋拓哉 プロンプター:塚瀬香名子
入場料 6,000円(全席指定・税込)
U-30 3,500円(観劇時30歳以下)
http://www.komatsuza.co.jp/program/index.html#312
https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20180724122000.html

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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