【観劇】新国立劇場演劇『夜明けの寄り鯨』12/01-12/18新国立劇場 小劇場 THE PIT

 横山拓也さんの新作戯曲を大澤遊さんが演出されます。出演者8人のうち3人が新国立劇場演劇研修所の修了生です。私はコロナ禍で観劇本数を激減させていますが、とても好きな俳優が多数出演していることもあり、観ることにしました。上演時間は約1時間35分。

 上演中に動悸が激しくなり、途中退出も考えましたが最後まで観ました。終演後は同伴の家族に付き添ってもらって、中劇場に近いホワイエのベンチで休んでから帰宅しました。

≪あらすじ≫
https://www.nntt.jac.go.jp/play/beaching-at-dawn/
和歌山県の港町。手書きの地図を持った女性が25年ぶりに訪れる。女性は大学時代、この港町にサークルの合宿でやってきて、たまたま寄り鯨が漂着した現場に居合わせた。まだ命のあった鯨を、誰もどうすることもできなかった。
ここは江戸時代から何度か寄り鯨があって、そのたびに町は賑わったという。漂着した鯨は”寄り神様”といわれ、肉から、内臓、油、髭まで有効に使われたと、地元の年寄りたちから聞いていた。
女性が持っている地図は、大学の同級生がつくった旅のしおりの1ページ。女性はその同級生を探しているという。彼女はかつて、自分が傷つけたかもしれないその同級生の面影を追って、旅に出たのだ。地元のサーファーの青年が、彼女と一緒に探すことを提案する。
≪ここまで≫

 2019年秋以降、差別とハラスメントについて個人的に勉強を続けておりまして、今、ようやく加害側ではなく被害を受けた側のことを第一に想像できるようになりました。3年以上前にこの作品を観ていたら、こんなにショックは受けなかったかもしれません。私自身のことを棚に上げ、誰かを批難したり糾弾したりする資格はないと思います。3年経ってようやくわかったことと、変化した私が今、感じていることを共有できればと思っています。

 おそらく主人公・三桑が気にかけていた同級生ヤマモト以外の登場人物は、(私自身と同じく)マジョリティー特権を持つ人々だと思います(⇒お勧めしたい記事)。マジョリティーがマイノリティーを徹底的に傷つけて都合よく消費し、謝罪も反省もせずに開き直る様が、俳優の好演もあって生々しく描かれたように見えました。特にヤマモトへの集団いじめは苛烈で、私は軽い過呼吸の発作を起こしてしまいました。作品作りをする際は、創作現場にも客席にもマイノリティーがいると想定してもらいたいと思います。

 和田華子さんが講師をつとめるZOOM講座の録画が、2013年3月19日まで視聴できます(私は2019年と今回の計2回受講)。誰でも受講可能ですので、ちょっとでも気になった方はぜひ受講していただければと思います。
 一般800円、学生500円です(価格の詳細は公式サイトでご確認を)。
※チケット申し込み後、アーカイブ動画視聴のためのURLが送られてきます。
※申込期限は2023年3月12日(日)23:59です。
チケット:https://onpam-renzokukouza2022.peatix.com/

 作品のなかで過去の史実(の一面)をそのまま表象することや、マイノリティーの人生を不幸に描くことの暴力性については、ドキュメンタリー映画「トランスジェンダーとハリウッド」で例示されています。草彅剛さんがトランスジェンダー女性を演じた映画「ミッドナイトスワン」で議論されたことからも学べると思います。

 物語の舞台となる時代のレイシズム(人種差別)や女性蔑視、エイジズム(年齢差別)等をそのまま描くことはせず、表象を現代の認識にアップデートさせることで、昔の悪習や歪んだ人権感覚の温存にストップをかけられます。
 たとえば映画「ミセス・ハリス、パリへ行く」では、1960年代のパリのファッション・ショーでアジア系、アフリカ系のモデルが活躍していました。カラー・ブラインド・キャスティングはNTLiveで上映される英国の舞台でもよく採用されています(⇒)。

 舞台上で加害を描く際には、被害を受ける側のことを丹念に想像してもらいたいです。創造と発表で新たな暴力(二次加害など)を生み出さないように、どん欲に知識を獲得して、創作の起点も表現の手段も積極的に変えていってもらいたいと思います。

 ここからネタバレします。セリフなどは正確ではありません。一度観ただけで書いていますので、間違いはあると思います。
 ※最初は約7500字あったのですが、約4300字に減らして公開しました。

 横山さんの作品は2019年9月以降、劇場で観劇していませんので、あくまでも3年前までの感想に過ぎないのですが、劇中の登場人物が物語の駒として動かされている印象があります。ある社会問題を描くために会話をさせられていたり、対立や葛藤を生じさせるための背景を背負わされていたり。その作為が透けて見えると、私は登場人物の言動を信用できなくなってしまうんですよね…。

 主人公の女性・三桑が25年前(1997年?)を回想していくお芝居です。当時の大学生の日常会話が再現され、聞き手である若い男性サーファー・相野が現代(2022年?)の感覚で「そんなこと言っちゃダメでしょ」等とツッコミを入れます。相野がツッコミを入れる隙がない場面では、古い価値観に基づく言動が野放しになり、暴力が振るわれっぱなしの状態が続きました。

 回想場面では、20歳前後の大学の同級生(三桑、景子、紗里、永嗣、ヤマモト)が、夏休みに海辺の民宿に行きます。民宿は景子の実家で、景子は永嗣と恋人同士です。三桑がヤマモトのことを好きなので、紗里がヤマモトを誘って5人旅になりました。民宿は男女別室で三桑、景子、紗里が女部屋、永嗣とヤマモトが男部屋です。

 ヤマモトから「他に好きな人がいる」と言われフラれた三桑は、腹いせに「ヤマモトはゲイかも」と女性2人にほのめかします。永嗣がヤマモトと同室であることが心配になった景子は、男部屋を偵察にいきます。民宿で鯨肉料理がふるまわれたことで捕鯨等について口論となり、若者全員がいる前で紗里が「ヤマモトはゲイで永嗣のことが好きなんでしょ?!」とアウティングをする流れになります(ヤマモトは後に否定)。

 捕鯨や鯨食だけでも大きなテーマなのに、ジェンダーの問題まで掛け合わせたのは、もしかしたら鯨(げい)からGay(ゲイ)を連想したためでしょうか(またはその逆かしら)。私が書くまでもない当たり前の事実として、人間が鯨ではないのと同様に、性的マイノリティーも鯨ではありません。舞台上でヤマモトを鯨に見立てているような気がして、強烈な違和感がありました。

 「ゲイじゃないよね?」という永嗣の質問に「違うよ」と答えたヤマモトは、三桑が示した安易な共感などに激高した様子を見せながらも、自分の意見は言わずに民宿を飛び出し、行方不明になります。25年前の大学生による無邪気な加害は、1人の人間に「この世から消えてなくなりたい」と思わせるのに充分だったと思います。

 ふと疑問に思ったのですが、行方不明になった大学生の保護者と連絡が付かないなんて、あり得るでしょうか。もし私がヤマモトの保護者だったら、一緒に旅行をしていた4人に会いに行ったかもしれません。想像を広げてみると、ヤマモトの存在自体に疑問が出てきます。三桑が「気づいたら(海辺に)来てた」ぐらいのことを言ってるので、サーファーの相野も含めてすべては三桑の空想だったという解釈もできそうです。

 ヤマモトのセクシュアリティ(性的指向)は不明ですが、セリフと演技から、彼はヘテロセクシャル男性ではないと解釈するのが自然だと思います。よってたかってサンドバッグのように痛めつけられた性的マイノリティーの人物は、耐えられず外に飛び出して行方不明になりました。そして「25年経った今となっては、死んだと思うほかない」という、加害者にとって楽な方法で都合よく“死者”扱いされていきます。

 もしヤマモトが自死したのであれば、大学生4人による数々の心無い仕打ち(アウティングを含む)が引き金になったことは明らかです。マジョリティーが心穏やかに人生の新しいステップを踏み出すために、マイノリティーの人物が2度殺されたと言っていいかもしれません。ヤマモトの実在を曖昧にして自死か事故かもわからず仕舞いにしたことで、加害者たちを免罪することになっているのではないでしょうか。

 最後まで観て振り返ってみると、このお芝居の根底にはミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)があるように思います。
ミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)

 「一橋大学アウティング事件(2015年)」において、アウティングをしたのは告白された男性です。この作品だと永嗣がその立場ですが、アウティングをしたのは彼ではなく紗里(女性)でした。以前、実話をもとにした作品で加害者を男性から女性に変えたと知った時、悪質な印象操作だと感じました。
 例:内藤瑛亮監督の映画「先生を流産させる会

 三桑は自分が原因だったかもしれない1人の人間の失踪を、記憶から消し、25年間も放置していました。再訪を経ても、彼女はあの事件の詳細を思い出しただけで、周囲に流されるようにヤマモトを死んだことにし、謝罪もせず、最終的には「ヤマモトってどういう人だったのかな~」等と呑気に勝手な想像をめぐらすだけでした。もし私が三桑の友達だったら、もう親しいお付き合いはしたくないですね。

 現代の場面で一人前の漁師になってキャリアを積んでいる景子に、“婚期を逃した気の毒な女性”というレッテルが貼られていました。捕鯨反対を主張する紗里は幼稚でヒステリックな人物に造形されており、決定的なアウティングをしたのも紗里でした。25年ぶりに再会した景子と三桑は、紗里の悪口を言っていました。男性の加害を透明化する“女の敵は女”の構図に見えました。

 景子は商業捕鯨再開を明るい話題として語っていました。景子の父は4年前(事件の21年後)に死亡しており、永嗣も現代の場面には登場しません。この物語では無責任な噂も悪口も政治的主張も女性に言わせており、決定的な加害をするのも女性です。
ご参考:
・調べる学習部門 中学生の部 2019年(第23回) 文部科学大臣賞
 「捕鯨は是か?非か?~商業捕鯨を再開した今、鯨との共生を考える
・水族館の超人気者「イルカ」たちの過酷すぎる生涯 イルカ飼育大国・日本に住む私たちが知るべき現実
 「太地町では「追い込み猟」という、世界的にも残酷と批判される方法でイルカを捕獲しています

 捕鯨への賛否は別として、自然破壊や環境汚染に反対する人たちが暴力的な手段を選ぶことに対し、「暴力反対」と言って批判するのは早計ではないかな…と思います。つい手段が目についてしまいますが、その背景や動機を知っていきたいです。
・「パキスタンの洪水。死者は1000人を超え、3300万人が影響を受けた
・「“名画にトマトスープ”を「過激な行動」で終わらせていいのか。批判に潜む“特権”とは?
・「「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点
・「オーストリアの気候活動家、クリムトの絵画「死と生」に黒い液体浴びせる

 日本画を思わせる絵が描かれたシンプルで美しい舞台美術、人の上にやわらかい雨を降らす映像などのスタッフワークはプロならではの完成度だったと思います。でも、1人の人間を“死”に追いやる加害をマイルドにしてしまったようにも見えました。俳優の演技が誠実であればあるほど、加害者優位の世界観が強固になるので、観ていて辛かったです。

 最後は4人(三桑、景子、永嗣、紗里)が客席に向かって横一列に並びます。彼らの中央に来たヤマモトは後ろ姿で、観客には表情が見えません。やがてヤマモトが描いた自由な世界(地図)が床に映写され、加害者4人もそのなかに居る状態になりました。彼らをヤマモトの世界に入れるなんて酷いと思います。マイノリティーを痛めつけ、利用し、その言葉も奪ったまま、終幕しました。マジョリティーに対する批判を演出で示すこともできたはずなのに、それがなかったこともショックでした。

CoRich舞台芸術!『夜明けの寄り鯨』の「観てきた!」クチコミ
『夜明けの寄り鯨』でTwitter検索した結果

■批判的な感想ツイートの転載

 ※加害者は「こんなに反省してるのに、なぜまだ責めるの?」「加害者も人間なのに」といった被害者意識を持つことが多いです。そういう時はGADHA(ガドハ)が参考になると思います。
https://www.gadha.jp/
https://twitter.com/GADHA_JP

↓2022/12/20加筆

↓2022/12/21加筆

 このレビューについて意見を書いてくださった方がいらっしゃいました。hawkさん、ありがとうございました。お返事になるかわかりませんが、書いておきます。

 「25年前の現実にあったゲイ差別を矮小化しないで欲しい」というご意見のようです。私は、25年前の現実をありのままに、生々しく伝える方法が選択された事を、残念に思っています。劇中人物やマイノリティー当事者を含む観客を、25年前と同様に傷つけてもいいという判断がなされたことに落胆しています。

 25年前の私はマイノリティー差別に気づかず、黙認、容認してしまっていました。劇中の大学生と同様に加害もしていたと思います。劇中のアウティングをする場面の描写を苛烈だと感じられたのは、この3年ほど差別とハラスメントについて勉強してきて、私が変化したからだと思います。変わっていなければ、「昔はこうだった」と納得して眺めることができていたかもしれません。

 「物語の舞台となる時代の差別をそのまま描くことはせず、表象を現代の認識にアップデートさせることで、昔の悪習や歪んだ人権感覚の温存にストップをかけられます」という文章は、表象(表現方法)について書いています。たとえば今作では、素人考えにすぎませんが、被害者やその代弁者の思いも描くことで、25年前のゲイ差別を当時の現実に近い形で表象できたのではないかと想像します。ゲイ男性と思われる登場人物を痛めつけなくても。

 上記も含め、「作品作りをする際は、創作現場にも客席にもマイノリティーがいると想定してもらいたい」「舞台上で加害を描く際には、被害を受ける側のことを丹念に想像してもらいたい」などのネタバレ部分の前の文章は、この公演の関係者や公演をご覧になった観客に限らず、舞台を創作する方々に届いてほしいと思って書きました。

↓2024/02/08加筆

・児玉美月氏:確かに不当な境遇に置かれているクィア達はより生存を脅かされているだろう。ある部分でそれは現実の反映ともいえるかもしれない。でも映画は今ここにある現実とは別の世界を描ける。作品の規模が大きくなる程にわかりやすいナラティヴに依拠せざるをえない今の日本映画の状況を今一度再考してほしい。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755274383084696019

・児玉美月氏:実際、なんてことのないただの平凡な日常を生きているクィアもこの社会にはたくさんいるはずで。そういう人達の生には、いつまでも見向きもしないのか。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755275718026494051

・児玉美月氏:これから劇場公開される映画、いま企画として動いている映画でここに書いてあることに該当する作品がいくつかあると思います。少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。単にスクリーン上のクィアの死について話しているわけでなく、そこにあるあまりにも不均衡で搾取的な構造について話しています。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755299684783132964

・谷岡健彦氏:さらにさらにひどいのは、本作の一部の観客の性的少数者に対する意識が、現在から25年前と設定されている作中人物のそれと大差がなかったこと。そのため、劇中の差別的な台詞に(批判的でない)笑いが起きる。とても居心地の悪い観劇体験だった。
https://twitter.com/take_hotspur/status/1755410782643442166

【未来につなぐもの】Ⅱ
【出演】
小島聖:三桑真知子/結婚(初婚)を前に、25年前に訪れた海辺の町を再訪/行方不明の元同級生ヤマモトヒロシを探す
池岡亮介:相野由嶺/元イルカ調教師のサーファー
小久保寿人:ヤマモトヒロシ/25年前に嵐の中で行方不明に/「ゲイで永嗣のことが好きなはず」と噂される
森川由樹:民宿の娘・和泉景子/大学時代の恋人は永嗣/25年後は父の跡を継ぎ独身の女性漁師に
岡崎さつき:新美紗里/クジラ好きで鯨食文化に反対/25年後はシンガポールでヨガのインストラクターに/現在も捕鯨反対運動をしてると噂される
阿岐之将一:景子の彼氏・波須川永嗣(えいじ)/25年後に三桑と再婚する(現代の場面には登場しない)
楠見薫:民宿経営者(景子の母)/25年後は娘と暮らしている/ヤマモトが残したリュックを差し出す
荒谷清水:民宿経営者(景子の父)の漁師、鯨肉料理を振舞う/回想場面の21年後に死去(現代の場面には登場しない)
声の出演:笹野美由紀、福士永大、伊海実紗、宮津侑生、安森尚
脚本:横山拓也
演出:大澤遊
美術:池田ともゆき
照明:鷲崎淳一郎
音響:信澤祐介
映像:鈴木大介
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:高村マドカ
方言指導:森本祐司
演出助手:山田 翠
舞台監督:川除学
稽古場代役:笹野美由紀
プロンプ:福士永大
制作助手:梶原千晶
制作:井澤雅子
プロデューサー:三崎力
芸術監督:小川絵梨子
【発売日】2022/10/29
A席:7,700円
B席:3,300円
クラブ・ジ・アトレ会員の方は、公演最終日まで上記料金の10%OFFでお求めいただけます。
Z席:1,650円(10%税込)
https://www.nntt.jac.go.jp/play/beaching-at-dawn/
https://stage.corich.jp/stage/204730

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