横山拓也さんの新作戯曲を大澤遊さんが演出されます。出演者8人のうち3人が新国立劇場演劇研修所の修了生です。私はコロナ禍で観劇本数を激減させていますが、とても好きな俳優が多数出演していることもあり、観ることにしました。上演時間は約1時間35分。
マイノリティーらしき人物が登場するお芝居を観て、あまりの暴力に過呼吸になってしまった。ご都合主義が過ぎる。
表現をする方々は、このドキュメンタリー映画を見て欲しい。マジョリティー特権を自覚して欲しい。
「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」https://t.co/LyawDLcZAl
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) December 3, 2022
上演中に動悸が激しくなり、途中退出も考えましたが最後まで観ました。終演後は同伴の家族に付き添ってもらって、中劇場に近いホワイエのベンチで休んでから帰宅しました。
≪あらすじ≫
https://www.nntt.jac.go.jp/play/beaching-at-dawn/
和歌山県の港町。手書きの地図を持った女性が25年ぶりに訪れる。女性は大学時代、この港町にサークルの合宿でやってきて、たまたま寄り鯨が漂着した現場に居合わせた。まだ命のあった鯨を、誰もどうすることもできなかった。
ここは江戸時代から何度か寄り鯨があって、そのたびに町は賑わったという。漂着した鯨は”寄り神様”といわれ、肉から、内臓、油、髭まで有効に使われたと、地元の年寄りたちから聞いていた。
女性が持っている地図は、大学の同級生がつくった旅のしおりの1ページ。女性はその同級生を探しているという。彼女はかつて、自分が傷つけたかもしれないその同級生の面影を追って、旅に出たのだ。地元のサーファーの青年が、彼女と一緒に探すことを提案する。
≪ここまで≫
2019年秋以降、差別とハラスメントについて個人的に勉強を続けておりまして、今、ようやく加害側ではなく被害を受けた側のことを第一に想像できるようになりました。3年以上前にこの作品を観ていたら、こんなにショックは受けなかったかもしれません。私自身のことを棚に上げ、誰かを批難したり糾弾したりする資格はないと思います。3年経ってようやくわかったことと、変化した私が今、感じていることを共有できればと思っています。
おそらく主人公・三桑が気にかけていた同級生ヤマモト以外の登場人物は、(私自身と同じく)マジョリティー特権を持つ人々だと思います(⇒お勧めしたい記事)。マジョリティーがマイノリティーを徹底的に傷つけて都合よく消費し、謝罪も反省もせずに開き直る様が、俳優の好演もあって生々しく描かれたように見えました。特にヤマモトへの集団いじめは苛烈で、私は軽い過呼吸の発作を起こしてしまいました。作品作りをする際は、創作現場にも客席にもマイノリティーがいると想定してもらいたいと思います。
和田華子さんが講師をつとめるZOOM講座の録画が、2013年3月19日まで視聴できます(私は2019年と今回の計2回受講)。誰でも受講可能ですので、ちょっとでも気になった方はぜひ受講していただければと思います。
一般800円、学生500円です(価格の詳細は公式サイトでご確認を)。
※チケット申し込み後、アーカイブ動画視聴のためのURLが送られてきます。
※申込期限は2023年3月12日(日)23:59です。
チケット:https://onpam-renzokukouza2022.peatix.com/
<速報レポート✏️>
ON-PAM 舞台芸術の「関係性」をめぐる連続講座2022
11月30日実施
第1回【ジェンダー編[1]LGBTQについて】講師の和田華子さんより、前半はジェンダーに関する様々な用語や、性自認、性的指向についてなど、LGBTQの基礎的な知識を教えて頂きました。→ pic.twitter.com/jBWiY6M7gE
— ON-PAM – 舞台芸術制作者オープンネットワーク (@OpenNetwork_PAM) December 3, 2022
作品のなかで過去の史実(の一面)をそのまま表象することや、マイノリティーの人生を不幸に描くことの暴力性については、ドキュメンタリー映画「トランスジェンダーとハリウッド」で例示されています。草彅剛さんがトランスジェンダー女性を演じた映画「ミッドナイトスワン」で議論されたことからも学べると思います。
物語の舞台となる時代のレイシズム(人種差別)や女性蔑視、エイジズム(年齢差別)等をそのまま描くことはせず、表象を現代の認識にアップデートさせることで、昔の悪習や歪んだ人権感覚の温存にストップをかけられます。
たとえば映画「ミセス・ハリス、パリへ行く」では、1960年代のパリのファッション・ショーでアジア系、アフリカ系のモデルが活躍していました。カラー・ブラインド・キャスティングはNTLiveで上映される英国の舞台でもよく採用されています(⇒例)。
舞台上で加害を描く際には、被害を受ける側のことを丹念に想像してもらいたいです。創造と発表で新たな暴力(二次加害など)を生み出さないように、どん欲に知識を獲得して、創作の起点も表現の手段も積極的に変えていってもらいたいと思います。
本日開幕する本作!稽古場の様子と演出家のコメント映像公開です。
昔傷つけたかもしれない同級生の面影を追い旅に出る女性。和歌山を舞台に、過去、現在、そして未来に向かう姿を描きます。上演予定時間は、1時間35分(休憩なし)!
劇場でお待ちしております。 pic.twitter.com/FQfUEPobYp
— 新国立劇場の演劇 (@nntt_engeki) December 1, 2022
ここからネタバレします。セリフなどは正確ではありません。一度観ただけで書いていますので、間違いはあると思います。
※最初は約7500字あったのですが、約4300字に減らして公開しました。
横山さんの作品は2019年9月以降、劇場で観劇していませんので、あくまでも3年前までの感想に過ぎないのですが、劇中の登場人物が物語の駒として動かされている印象があります。ある社会問題を描くために会話をさせられていたり、対立や葛藤を生じさせるための背景を背負わされていたり。その作為が透けて見えると、私は登場人物の言動を信用できなくなってしまうんですよね…。
主人公の女性・三桑が25年前(1997年?)を回想していくお芝居です。当時の大学生の日常会話が再現され、聞き手である若い男性サーファー・相野が現代(2022年?)の感覚で「そんなこと言っちゃダメでしょ」等とツッコミを入れます。相野がツッコミを入れる隙がない場面では、古い価値観に基づく言動が野放しになり、暴力が振るわれっぱなしの状態が続きました。
回想場面では、20歳前後の大学の同級生(三桑、景子、紗里、永嗣、ヤマモト)が、夏休みに海辺の民宿に行きます。民宿は景子の実家で、景子は永嗣と恋人同士です。三桑がヤマモトのことを好きなので、紗里がヤマモトを誘って5人旅になりました。民宿は男女別室で三桑、景子、紗里が女部屋、永嗣とヤマモトが男部屋です。
ヤマモトから「他に好きな人がいる」と言われフラれた三桑は、腹いせに「ヤマモトはゲイかも」と女性2人にほのめかします。永嗣がヤマモトと同室であることが心配になった景子は、男部屋を偵察にいきます。民宿で鯨肉料理がふるまわれたことで捕鯨等について口論となり、若者全員がいる前で紗里が「ヤマモトはゲイで永嗣のことが好きなんでしょ?!」とアウティングをする流れになります(ヤマモトは後に否定)。
捕鯨や鯨食だけでも大きなテーマなのに、ジェンダーの問題まで掛け合わせたのは、もしかしたら鯨(げい)からGay(ゲイ)を連想したためでしょうか(またはその逆かしら)。私が書くまでもない当たり前の事実として、人間が鯨ではないのと同様に、性的マイノリティーも鯨ではありません。舞台上でヤマモトを鯨に見立てているような気がして、強烈な違和感がありました。
絶賛上演中の本作、舞台映像が届きました。 半ば封印し、思い出すのをやめてしまった記憶。そんな25年前の記憶を辿る、一人の女性の旅を、能を思わせる美しい舞台美術上で描きます。
上演時間は95分。密度の濃い舞台です。
ぜひ、足をお運びください。#横山拓也 #大澤遊 pic.twitter.com/0vzASndlPB— 新国立劇場の演劇 (@nntt_engeki) December 9, 2022
「ゲイじゃないよね?」という永嗣の質問に「違うよ」と答えたヤマモトは、三桑が示した安易な共感などに激高した様子を見せながらも、自分の意見は言わずに民宿を飛び出し、行方不明になります。25年前の大学生による無邪気な加害は、1人の人間に「この世から消えてなくなりたい」と思わせるのに充分だったと思います。
ふと疑問に思ったのですが、行方不明になった大学生の保護者と連絡が付かないなんて、あり得るでしょうか。もし私がヤマモトの保護者だったら、一緒に旅行をしていた4人に会いに行ったかもしれません。想像を広げてみると、ヤマモトの存在自体に疑問が出てきます。三桑が「気づいたら(海辺に)来てた」ぐらいのことを言ってるので、サーファーの相野も含めてすべては三桑の空想だったという解釈もできそうです。
ヤマモトのセクシュアリティ(性的指向)は不明ですが、セリフと演技から、彼はヘテロセクシャル男性ではないと解釈するのが自然だと思います。よってたかってサンドバッグのように痛めつけられた性的マイノリティーの人物は、耐えられず外に飛び出して行方不明になりました。そして「25年経った今となっては、死んだと思うほかない」という、加害者にとって楽な方法で都合よく“死者”扱いされていきます。
もしヤマモトが自死したのであれば、大学生4人による数々の心無い仕打ち(アウティングを含む)が引き金になったことは明らかです。マジョリティーが心穏やかに人生の新しいステップを踏み出すために、マイノリティーの人物が2度殺されたと言っていいかもしれません。ヤマモトの実在を曖昧にして自死か事故かもわからず仕舞いにしたことで、加害者たちを免罪することになっているのではないでしょうか。
【感想ご紹介】#新国立劇場<未来につなぐもの>第2弾『#夜明けの寄り鯨』。舞台美術によってもたらされる、もう一つの視点。新鮮。劇場で体験したい!
主人公が25年前、学生時代の出来事を振り返る。みなさんはあの頃、何を思っていましたか。そして今は。気になる方は↓https://t.co/0jxkdvxWdU— おけぴSTAFF (@okepi_staff) December 7, 2022
最後まで観て振り返ってみると、このお芝居の根底にはミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)があるように思います。
・ミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)
「一橋大学アウティング事件(2015年)」において、アウティングをしたのは告白された男性です。この作品だと永嗣がその立場ですが、アウティングをしたのは彼ではなく紗里(女性)でした。以前、実話をもとにした作品で加害者を男性から女性に変えたと知った時、悪質な印象操作だと感じました。
例:内藤瑛亮監督の映画「先生を流産させる会」
三桑は自分が原因だったかもしれない1人の人間の失踪を、記憶から消し、25年間も放置していました。再訪を経ても、彼女はあの事件の詳細を思い出しただけで、周囲に流されるようにヤマモトを死んだことにし、謝罪もせず、最終的には「ヤマモトってどういう人だったのかな~」等と呑気に勝手な想像をめぐらすだけでした。もし私が三桑の友達だったら、もう親しいお付き合いはしたくないですね。
現代の場面で一人前の漁師になってキャリアを積んでいる景子に、“婚期を逃した気の毒な女性”というレッテルが貼られていました。捕鯨反対を主張する紗里は幼稚でヒステリックな人物に造形されており、決定的なアウティングをしたのも紗里でした。25年ぶりに再会した景子と三桑は、紗里の悪口を言っていました。男性の加害を透明化する“女の敵は女”の構図に見えました。
演劇噺 Vol.10 シリーズ「未来につなぐもの」作家×演出家対談Ⅱを公開!📽️
⬇️1/31までhttps://t.co/uhsyJaJZ3R
『#夜明けの寄り鯨』作の #横山拓也 さんと演出の #大澤遊 さんが、本作について振り返ります。もし横山さんが演出するとしたら…などのお話が聞けます! pic.twitter.com/1CKWGG14IY
— 新国立劇場の演劇 (@nntt_engeki) December 15, 2022
景子は商業捕鯨再開を明るい話題として語っていました。景子の父は4年前(事件の21年後)に死亡しており、永嗣も現代の場面には登場しません。この物語では無責任な噂も悪口も政治的主張も女性に言わせており、決定的な加害をするのも女性です。
ご参考:
・調べる学習部門 中学生の部 2019年(第23回) 文部科学大臣賞
「捕鯨は是か?非か?~商業捕鯨を再開した今、鯨との共生を考える」
・水族館の超人気者「イルカ」たちの過酷すぎる生涯 イルカ飼育大国・日本に住む私たちが知るべき現実
「太地町では「追い込み猟」という、世界的にも残酷と批判される方法でイルカを捕獲しています」
捕鯨への賛否は別として、自然破壊や環境汚染に反対する人たちが暴力的な手段を選ぶことに対し、「暴力反対」と言って批判するのは早計ではないかな…と思います。つい手段が目についてしまいますが、その背景や動機を知っていきたいです。
・「パキスタンの洪水。死者は1000人を超え、3300万人が影響を受けた」
・「“名画にトマトスープ”を「過激な行動」で終わらせていいのか。批判に潜む“特権”とは?」
・「「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点」
・「オーストリアの気候活動家、クリムトの絵画「死と生」に黒い液体浴びせる」
抗議行動の手法としては恐らく大変非効率だし他に良いものがありそうだとは思うしが、一様にこれを非難する皆の反応を見ていると逆にこの人たちの行為の意義が浮き彫りになるというのがとても皮肉だ。その理由を以下に少し。
1/https://t.co/MmNF7gqa5I— 直帰がベスト (@Chokki_is_best) October 14, 2022
真の正論、必読。
>ふたりの環境活動家は、少なくとも自分たちの行為によって発生した責任は負いましたよね。逮捕されたわけですし。その一方で、気候変動の原因をつくってきた化石燃料産業と、化石燃料の使用で利益をあげている企業も金融機関も富裕層も政治も、なんの責任もとらないわけですよ。 https://t.co/6ZyENUoIi6
— 直帰がベスト (@Chokki_is_best) October 20, 2022
日本画を思わせる絵が描かれたシンプルで美しい舞台美術、人の上にやわらかい雨を降らす映像などのスタッフワークはプロならではの完成度だったと思います。でも、1人の人間を“死”に追いやる加害をマイルドにしてしまったようにも見えました。俳優の演技が誠実であればあるほど、加害者優位の世界観が強固になるので、観ていて辛かったです。
最後は4人(三桑、景子、永嗣、紗里)が客席に向かって横一列に並びます。彼らの中央に来たヤマモトは後ろ姿で、観客には表情が見えません。やがてヤマモトが描いた自由な世界(地図)が床に映写され、加害者4人もそのなかに居る状態になりました。彼らをヤマモトの世界に入れるなんて酷いと思います。マイノリティーを痛めつけ、利用し、その言葉も奪ったまま、終幕しました。マジョリティーに対する批判を演出で示すこともできたはずなのに、それがなかったこともショックでした。
【#おうちでバックステージツアー】#バックステージツアー 動画公開!
⬇️https://t.co/D39BIInwuj
(1/31まで公開)#夜明けの寄り鯨 の演出の大きなカギを担う美術をご紹介!演出家・大澤遊さんと舞台美術家・池田ともゆきさんに、美術コンセプトの出発点、鏡の使い方などをお話しいただきました! pic.twitter.com/aQVLtAJmBv— 新国立劇場の演劇 (@nntt_engeki) December 16, 2022
⇒CoRich舞台芸術!『夜明けの寄り鯨』の「観てきた!」クチコミ
⇒『夜明けの寄り鯨』でTwitter検索した結果
■批判的な感想ツイートの転載
新国立劇場〈夜明けの寄り鯨〉私はこれを評価しない立場であります。きわめて悪質なアウティングであるにもかかわらず、作劇上あの結末・回収はないものと考えます。
— 村上湛 (@PontmrcyMarius) December 3, 2022
新国立劇場で『夜明けの寄り鯨』を観る。この劇作家と演出家のコンビでは、この題材を扱うのは無理だろう。マジョリティに都合のいい話になっている。俳優の演技が総じてよいだけに残念。とくに『あの出来事』以来の小久保寿人の柔らかな佇まいには目を瞠った。
— 谷岡健彦 (@take_hotspur) December 3, 2022
『#夜明けの寄り鯨』を観劇。
主人公が25年前の大学時代に傷つけた同級生の事を心から考えているとは思えず、彼女がエゴイストでナルシストに見えた。
当時の悪ふざけが命を奪う深刻なことだと現代になってもわかっていない感じがして、傷つけても都合よく解釈して生きていく人間性が描かれていた。 pic.twitter.com/uqreXz4aX0— 林田 雅樹 (@haya4da_masaki) December 3, 2022
25年前、ゲイだとアウティングされた後に行方不明となった山本を探す旅の話。
今一番必要のない話だと思った。創作は、ずっと、ゲイを殺してきたじゃん。25年前を掘り起こしてまで、異性愛者は同性愛者を消費したいのか?と思った。鯨との対比も謎。 https://t.co/ZpYZs4YGd8
— ti:nə (@CTenu) December 1, 2022
演出とか俳優さんたちの演技は本当にとても良くて、特に、喧嘩とか捜索の場面は本当に胸が締め付けられた。
が、これを過去の話として描く姿勢が気に入らん。一橋の事件は7年前だし、昨日東京地裁で同性婚訴訟の賠償金請求棄却されたばかりだ。今の話だよ。— ti:nə (@CTenu) December 1, 2022
「夜明けの寄り鯨」新国立劇場小劇場
キャストは好演でおもしろく見たのだがもやもやが残る。捕鯨とゲイを描くことが目的ではない作品だということを承知の上で、もやもやの理由を残しておきたい。— 関根信一 (@shinfstage) December 7, 2022
新国立劇場『夜明けの寄り鯨』(作:横山拓也、演出:大澤遊)、かつて自分がアウティングしてしまった後に行方不明になった同級生の面影を追ってその地を訪れ……という話なのだが、加害の罪悪感をセンチメンタリズムで包むことでマジョリティにとって「いい感じ」の話に仕立てていてマジで最悪。→
— やまけん (@yamakenta) December 10, 2022
寄り🐋、鬼のように上手え役者を一定数集めて力技で良い話として終わらせれば、あの描き方でもふんわり良いもの観たなみたいな後味になれてしまう扇動性や同調性が、グロテスクというか心底怖いなと思った。結構全肯定的な感想が多く悶々としてしまったが、ばっさり言っている方も発見できてよかった。
— 🦌🍁 (@ChirO_oy5656) December 10, 2022
「夜明けの寄り鯨」@新国立劇場小劇場。
昨日、内容についてのツイートを見ていたので、話の構造自体については諦めて見たのもあって、なかなか楽しかった。
いやー、いますよいます、こういうデリカシーゼロの人々、というのを山ほどみて、ほんっと世間ってたまんねぇよなぁと思う作品でした。 pic.twitter.com/Jufg27pdmr— hawk (@hawk_v) December 11, 2022
新国立劇場『夜明けの寄り鯨』へ。直感だが、この脚本には、倫理的な問題が内在しているような気がする。捕鯨とLGBTQという異なる主題が、分離している印象。アウティングという不法行為を、内面の問題に還元する点に、違和感がある。罪を否認する三桑たちに、ヤマモトは何を思うのだろう?
— ヤシオユアン (@YasioE) December 11, 2022
夜明けの寄り鯨
見ていていい気分ではなかった。あの戯曲的にはあれが正解かもしれないが
どこまでを意図的にやってんのか分からない
逆説的な見せ方を狙っていたのなら、加減を間違えてる気がする。あそこまでいくと繊細さとか全部ぶっ飛んで、作品に対する嫌悪感が跳ね上がるだけのような気がする。— 色々諸々 (@0wPI5DAxPks8nIl) December 18, 2022
※加害者は「こんなに反省してるのに、なぜまだ責めるの?」「加害者も人間なのに」といった被害者意識を持つことが多いです。そういう時はGADHA(ガドハ)が参考になると思います。
https://www.gadha.jp/
https://twitter.com/GADHA_JP
↓2022/12/20加筆
無事に千穐楽を迎えたとのことなので、一番引っかかったところを……
ヤマモトがあまりにも浮世離れしすぎて作られていないか、ということ https://t.co/IHWJisXvzg
— 水口昂之(ぐぐぐ) (@mizuguccinew) December 19, 2022
高野しのぶさんによる新国立劇場『夜明けの寄り鯨』のレビュー。私はチケットを取ってだけど、このレビューにも引用されてる村上先生のツイートを見て、観るのをやめたんだよね。やはり観なくてよかったんだな。https://t.co/R0n20DyKrC
— もえぎ💙💛🏳️🌈🏳️⚧️ (@moegi0404) December 18, 2022
↓2022/12/21加筆
リツイートした、高野しのぶさんの「夜明けの寄り鯨」に関するレビュー。ちょっと違和感あるので、言葉にしておこうと。
ひとことで言えば、25年前の現実にあったゲイ差別を矮小化しないで欲しい、という事になると思うのですが。https://t.co/YRHCPUANY0— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
「ヤマモトへの集団いじめは苛烈」と書いてあるけど、自分は、あるある系の話で、どちらかと言えば救いのあるシチュエーションにしてあると思ったぐらいなんだけど。
あれを苛烈と言い切っちゃうのって、マジョリティ側はあんな酷いことはしてきませんでしたよ、という主張に繋がると思うんですが。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
「物語の舞台となる時代の差別をそのまま描くことはせず、表象を現代の認識にアップデートさせることで、昔の悪習や歪んだ人権感覚の温存にストップをかけられます」と書いてあるけど、それは作品のテーマじゃない部分の話だと思うんだよね。テーマとなる差別を、現代的に直したら矮小化でしょ。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
例えば、「ヘアスプレー」を人種やスタイルをごちゃ混ぜにして上演したら、テーマがボケボケになるじゃないですか。
「夜明けの寄り鯨」だって、あれよりも緩い描写にしたら、自死に追い込まれる説得力がなくなって、ヤマモトがメンタル弱々だからしょうがないよね、みたいな話になりかねないわけで。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
キツイ言い方になりますが。
あの程度の描写を苛烈と思う人々は、25年前に自身の周りに明確にあったはずのゲイ差別を見ないですませてきたんでしょうね、と思うわけで。
多分、劇中の主人公たちと同年代以上のゲイなら、あの描写を過剰だとは思わないんじゃないかな。もっと酷いの幾らでもあった的な。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
「行方不明になった大学生の保護者と連絡が付かないなんて、あり得るでしょうか」という文章があって、あー、そうかー、そういう風に見えるのかー、と。
自分は、生い立ちが特殊で保護者がいないのか、ゲイバレで親に縁切られてるか、どっちかの設定なのかなと思って見ていたので。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
例えば、手切金がわりに大学の学費だけ貰って縁切られてたとすると、大学を辞めるって選択肢はほぼないわけで、「二度と顔見せんな」というセリフは、この世の中にお前の生きる場所はないという事に直結するわけですよ。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
だから、保護者と連絡が取れなかったという話が出たところで、自分は、行方不明になったのではなくて、死体が見つからなかったんだなと思ったのでした。
もちろん、そこは解釈がわかれるでしょうが。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
自分は、「『一橋大学アウティング事件』において、アウティングをしたのは男性です。この作品だとアウティングをしたのは彼ではなく紗里(女性)でした。以前、実話をもとにした作品で加害者を男性から女性に変えたと知った時、悪質な印象操作だと感じました。」という文章が、印象操作っぽく感じて。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
自分は、あのシーン、振られたばかりで精神の平衡を欠いている女性が、振られた事で傷ついたプライドを守るために、相手をゲイ扱いしてあの手の行動とるのって、超あるあるだよねー、特にああいう自分に少し自信のあるタイプの女ってすぐやるよねー、わかるわかるー、と思って見ていたのですが。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
全編を通してミソジニーきついなーと言うのは自分も大変に同意で。特に最初はゲイである事をかばう彼女。勉強不足のくせに幼い正義感振り翳すキャラで、心療内科に通ってて、最後はヤマモトに一番酷いこと言って、今はシンガポールでヨガのインストラクターとか、悪意丸出しの造形じゃないですか。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
自分は、この作品、描写自体には特に問題を感じないんだよね。25年前にああいう人はたくさんいたし、現在の描写もありそうだなーって。
だから、問題にすべきなのは、トータルとして、そういうものを否定しない脚本/演出の態度であって、各パーツに対してとやかくいう作品ではないと思ったのだけど。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
本当に少しの匙加減で、内容自体はそのままでも、うっわー「春にして君を離れ」集団バージョンだったー、人間って怖いよーって思いながら帰る作品にだってなりえたわけじゃないですか。
なので、アウティング描写で当事者に気をつかえ、みたいなのは全然違う話じゃないのかなーと思ったのでした。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
あ、これは言わないとわからない人も多いのかもしれないけれど。自殺リスクに関しては女性より男性が高く、ゲイ男性は一般男性の数倍だと言われてます。この話は、そこまで含めて「あるある」なんですよ、当事者にとっては。
だから、「すべては三桑の空想」とか書かれると、うーんと思ったりして。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
あ、そうか、簡単な事を今になって気づいた。
アウティングがいけないのは、苛烈な集団いじめ、だからではなくて、どれだけ穏やかにやっても、あるいは本人のいないところでやったとしてもダメなわけです。
そういうのって、意外と見えない部分なのかなと思ったりして。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
例えば、一般の方はヤマモトがみんなと対峙するシーンをつらく感じたりするのかなと思ったりしますが。
自分は、その前の女性同士の会話によって、本人のいないところでゲイだという噂が広められていくという部分に、あー、ホントやだよねー、こういうのねー、ってダメージ食らうわけです。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
あの話にポイントオブノーリターンがあるとすれば、女子部屋で三桑さんが「ヤマモトってゲイだと思う」と言ったところだと思うんだよね。どれだけその重さを自覚してるかわからないですが。
その後の諍いは、観客にとってのわかりやすさのためにあるけれど、そこがなくても同じ結果になり得たかなと。— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
諍いのシーンをなくし、永嗣が「お前ホモなんかじゃないよな?」と聞いて、ヤマモトが否定して、それで丸くおさまったのに、翌日ヤマモトは失踪していて。というバージョンも可能だろうし、本質的には何も変わらないと思うんだけど、そうするとアウティングに気づかない観客が増えるんだろうなと。
— hawk (@hawk_v) December 20, 2022
このレビューについて意見を書いてくださった方がいらっしゃいました。hawkさん、ありがとうございました。お返事になるかわかりませんが、書いておきます。
「25年前の現実にあったゲイ差別を矮小化しないで欲しい」というご意見のようです。私は、25年前の現実をありのままに、生々しく伝える方法が選択された事を、残念に思っています。劇中人物やマイノリティー当事者を含む観客を、25年前と同様に傷つけてもいいという判断がなされたことに落胆しています。
25年前の私はマイノリティー差別に気づかず、黙認、容認してしまっていました。劇中の大学生と同様に加害もしていたと思います。劇中のアウティングをする場面の描写を苛烈だと感じられたのは、この3年ほど差別とハラスメントについて勉強してきて、私が変化したからだと思います。変わっていなければ、「昔はこうだった」と納得して眺めることができていたかもしれません。
「物語の舞台となる時代の差別をそのまま描くことはせず、表象を現代の認識にアップデートさせることで、昔の悪習や歪んだ人権感覚の温存にストップをかけられます」という文章は、表象(表現方法)について書いています。たとえば今作では、素人考えにすぎませんが、被害者やその代弁者の思いも描くことで、25年前のゲイ差別を当時の現実に近い形で表象できたのではないかと想像します。ゲイ男性と思われる登場人物を痛めつけなくても。
上記も含め、「作品作りをする際は、創作現場にも客席にもマイノリティーがいると想定してもらいたい」「舞台上で加害を描く際には、被害を受ける側のことを丹念に想像してもらいたい」などのネタバレ部分の前の文章は、この公演の関係者や公演をご覧になった観客に限らず、舞台を創作する方々に届いてほしいと思って書きました。
↓2024/02/08加筆
クィアの死を作品の大きな展開に使ったり、その死からマジョリティが何かを学んだり、もうそういう物語はこれまであまりにもありすぎたからもうやめよう、もうそういう傾向にここで終止線を引こう、形になってしまう前に、そう言ってくれる人がこれから映画界に一人でもふえてくれたらいいなと思う。
— 児玉美月|Mizuki Kodama(映画文筆家) (@tal0408mi) February 7, 2024
・児玉美月氏:確かに不当な境遇に置かれているクィア達はより生存を脅かされているだろう。ある部分でそれは現実の反映ともいえるかもしれない。でも映画は今ここにある現実とは別の世界を描ける。作品の規模が大きくなる程にわかりやすいナラティヴに依拠せざるをえない今の日本映画の状況を今一度再考してほしい。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755274383084696019
・児玉美月氏:実際、なんてことのないただの平凡な日常を生きているクィアもこの社会にはたくさんいるはずで。そういう人達の生には、いつまでも見向きもしないのか。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755275718026494051
・児玉美月氏:これから劇場公開される映画、いま企画として動いている映画でここに書いてあることに該当する作品がいくつかあると思います。少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。単にスクリーン上のクィアの死について話しているわけでなく、そこにあるあまりにも不均衡で搾取的な構造について話しています。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1755299684783132964
最近の日本の演劇作品では、(おそらく)ゲイの男性が(おそらく)自死する新国立劇場の『夜明けの寄り鯨』を思い出す。さらにひどいのは、彼を死に追い込んだマジョリティはほぼなにも学ばない。 https://t.co/wC2uiIMbEM
— 谷岡健彦 (@take_hotspur) February 7, 2024
・谷岡健彦氏:さらにさらにひどいのは、本作の一部の観客の性的少数者に対する意識が、現在から25年前と設定されている作中人物のそれと大差がなかったこと。そのため、劇中の差別的な台詞に(批判的でない)笑いが起きる。とても居心地の悪い観劇体験だった。
https://twitter.com/take_hotspur/status/1755410782643442166
その事件が起きたのは主人公が大学生だった何十年も前の話。「その時代」のマイノリティに対する無関心さをよく描いたという記憶が。また、それに対する罪の意識で主人公が現在の彼の行方を追うような話ではなかったでしたっけ。そこで「反省しました。これからは…」というのはよけい死の搾取かと…
— ぼのぼの (@masato009) February 8, 2024
主人公女性の「罪」の意識はきわめて希薄でしたし(ヤマモトに起こった出来事の核心は再訪するまで「忘れていた」)、現在の立場から当時の彼女の言動を批評する役割を担うべき地元の若い男性の台詞も不十分だったと思います。ついでに言うと、女性人物の造型にも作者の女性嫌悪が顕著に出ていました。
— 谷岡健彦 (@take_hotspur) February 8, 2024
↓2024/03/15加筆
📚寄稿📚
朝日新聞のメディアに「映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答」と題された鼎談記事が掲載されました。去年6月に『怪物』が公開され、記事化するまでには長い時間がかかってしまいましたが、この対話が日本の映画界をよりよくしていくと信じています。https://t.co/INs6i6edcD pic.twitter.com/eBGBR2FLMS— 児玉美月|Mizuki Kodama(映画文筆家) (@tal0408mi) March 15, 2024
・児玉美月氏:時間がかかったといえど、あの時にこの映画を巡って傷ついたり、疑問を抱いたりした方々の感情は決して時間の経過で褪せるものではないはずで、ずっと忘れてはいなかった。予定の終了時間が過ぎてもその場を立たず、納得できるまで話し合う姿勢でいてくださった是枝監督のことも忘れません。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1768573202111017069
・児玉美月氏:そして私たちを強い気持ちで引っ張ってくれた坪井さんも、改めてありがとうございました。合計8万字の量に及ぶお二人の言葉を大切に預かって、今回原稿を書かせていただきました。有料記事ですが3月16日15時ごろまでは無料でお読みいただけます。
https://twitter.com/tal0408mi/status/1768573261061980553
私が観劇中に過呼吸になった理由も、ここに明確に説明されていた。性的少数者をマジョリティ側が(無邪気に)傷つける様子を見せるのは、たとえフィクションだとしても暴力だってこと。
— 高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) (@shinorev) March 15, 2024
【未来につなぐもの】Ⅱ
【出演】
小島聖:三桑真知子/結婚(初婚)を前に、25年前に訪れた海辺の町を再訪/行方不明の元同級生ヤマモトヒロシを探す
池岡亮介:相野由嶺/元イルカ調教師のサーファー
小久保寿人:ヤマモトヒロシ/25年前に嵐の中で行方不明に/「ゲイで永嗣のことが好きなはず」と噂される
森川由樹:民宿の娘・和泉景子/大学時代の恋人は永嗣/25年後は父の跡を継ぎ独身の女性漁師に
岡崎さつき:新美紗里/クジラ好きで鯨食文化に反対/25年後はシンガポールでヨガのインストラクターに/現在も捕鯨反対運動をしてると噂される
阿岐之将一:景子の彼氏・波須川永嗣(えいじ)/25年後に三桑と再婚する(現代の場面には登場しない)
楠見薫:民宿経営者(景子の母)/25年後は娘と暮らしている/ヤマモトが残したリュックを差し出す
荒谷清水:民宿経営者(景子の父)の漁師、鯨肉料理を振舞う/回想場面の21年後に死去(現代の場面には登場しない)
声の出演:笹野美由紀、福士永大、伊海実紗、宮津侑生、安森尚
脚本:横山拓也
演出:大澤遊
美術:池田ともゆき
照明:鷲崎淳一郎
音響:信澤祐介
映像:鈴木大介
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:高村マドカ
方言指導:森本祐司
演出助手:山田 翠
舞台監督:川除学
稽古場代役:笹野美由紀
プロンプ:福士永大
制作助手:梶原千晶
制作:井澤雅子
プロデューサー:三崎力
芸術監督:小川絵梨子
【発売日】2022/10/29
A席:7,700円
B席:3,300円
クラブ・ジ・アトレ会員の方は、公演最終日まで上記料金の10%OFFでお求めいただけます。
Z席:1,650円(10%税込)
https://www.nntt.jac.go.jp/play/beaching-at-dawn/
https://stage.corich.jp/stage/204730
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