劇団青年座『わが兄の弟‐贋作アントン・チェーホフ傳』04/07-16紀伊國屋ホール

 マキノノゾミさんの新作を宮田慶子さんが演出する劇団青年座の公演は、『MOTHER』『フユヒコ』『赤シャツ』『横濱短篇ホテル』に続いて5作目。私は『MOTHER』(青年座ではない)と『赤シャツ』を拝見したことがあります。上演時間は約2時間30分(休憩15分を含む)。

 若き日のチェーホフの評伝劇ということで、四大戯曲『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』や、短編集などから引用されていることがわかります。「若い頃のチェーホフの実体験が、あの名作を生み出したのだろうな~」と想像させる、愛情のこもったフィクションでした。題名の『わが兄の弟』はチェーホフのペンネームのひとつとのこと。

≪あらすじ・作品紹介≫ 公式サイトより
アントン・チェーホフの祖先は農奴であり、
祖父の代に自由市民の身分を得て、
父はタガンローグで小さな食料雑貨店を営んでいた。
しかし、アントン16歳の時に雑貨店は破産し、
一家はモスクワへと移住することになる。
1880年、アントン20歳の誕生日の翌朝・・・・・・、物語はここから始まる。
モスクワ大学医学生の頃から多数のユーモア短編小説を雑誌に寄稿し、
その原稿料でチェーホフ家の暮らしを支えていたアントン。
やがて、作家として名声が高まってきた30歳の時、
何を求めてか、何から逃れたかったのか、
家族を残して一人極東の地サハリン島へと旅立つのだった。
帝政ロシア体制が動揺する19世紀末を背景に、
医者であり作家であった若きアントンの人間像に迫る
≪ここまで≫

 上下(かみしも)の端に階段があるだけで、ゆるやかな開帳場になっているシンプルな抽象舞台です。舞台奥、上下の複数個所が出入り口になり、家具や小道具を入れ替えて場面転換します。時代を映した家具と衣装に味わいがあります。

 老若男女が大勢の登場するお芝居を上演できるのは老舗劇団ならではですよね。お馴染みのベテラン俳優のお元気な姿に和み、若い俳優の奮闘を愛でて、時代の移り変わりも感じて、しみじみしました。

 ここからネタバレします。間違ってたらすみません。

●詳しい目のあらすじ

[第一幕]
 20歳の誕生日を迎えたアントン(横堀悦夫)は酒場で偶然出会った美しい婦人ニーナ(安藤瞳)と恋に落ち、ホテルで夢のような一夜を過ごすが、全ては二番目の兄ニコライ(大家仁志)の計らいだった。ニーナはヌードモデル兼娼婦で、画家のニコライの元恋人だった。ニーナは15ルーブルでニコライに買われ、誕生日の祝いとして童貞のアントンの相手をしたのだ。アントンは運命の女性との出会いを神に感謝したが、真相に気づかされた途端、絶望して深く傷つく。

[第二幕]
 アントンの父パーヴェル(山本龍二)はタガンローグで小さな食料雑貨店を営んでいたが、破産し、チェーホフ家は夜逃げ同然でモスクワに移住した。パーヴェルは住み込みの会計士で、給料は雀の涙。長男アレクサンドル(石母田史朗)が家を出てしまい、次男ニコライは飲んだくれの画家なので、モスクワ大学医学部に進学した三男アントンの奨学金と、彼が雑誌に寄稿するユーモア短編小説の原稿料が、一家を支えている。

 人妻アーニャ(坂寄奈津伎)との間に子供をもうけて事実婚状態の長男が、父の在宅中に家族で帰省したが、信心深い頑固者の父は口を聞こうともしない。家計を預かるアントンの妹マリヤ(野々村のん)は作文の宿題をアントンに任せて、かいがいしく家事をするしっかり者だ。その弟で末っ子のミハイル(松田周)は、アントンの原稿料を出版社に催促に行ったが、取り立てられなかった。まだまだ子供なのだ。

 アントンは朝までに原稿を書き上げたいのだが、長男、次男、妹たちがひっきりなしに話しかけてくる。アントンは次男から初めてニーナについて詳しく聴くことになった。ニーナは元貴族だが生まれた時に父が死亡し、母が領地を売りながら兄、姉、ニーナを育てた。兄が大学時代にペテルブルグの学生運動で逮捕され獄中で死亡。遺志を継いだ姉が人民派の残党に加わり、ニーナは家庭教師、美術モデル、そして売春をしながら母の生活を支え、姉に活動資金を送っていた。ツァーリ暗殺事件で姉は逮捕され、検察官に「革命家十数名と自由恋愛の関係を持つふしだらな女」と侮辱された。1年後、ニーナはその検察官をピストルで撃ったため、姉と同じくシベリア送りになった。

 長男の赤ん坊が夜泣きが止まらない。やがて父と長男がもめて、次男もそのケンカに火を注ぐ。赤ん坊を抱いて外に出た母(大須賀裕子)を追いかけて行った父が、泣き止んだ赤ん坊を再び泣かせてしまい、母が激怒する。長年の夫婦生活で初めて母が父に反抗した瞬間だった。母に無理やり赤ん坊を任された父がおそるおそる讃美歌を歌うと、赤ん坊は泣き止んで笑った。父はすっかり赤ん坊に魅せられ、一件落着。おそらく短編集からの引用か(未確認です)。

[第三幕]
 医師資格は取ったものの医院は繁盛せず、相変わらずアントンの小説で生計を立てているチェーホフ家。5年経ち、アントンはペテルブルグでは有名な小説家になっていた。1888年6月、一家はハリコフ県のリントワリョーフ家の離れを借り、湖のほとりの避暑地でひと夏を過ごす。

 家主である三姉妹の長女シナイーダ(津田真澄)は女医で、脳に腫瘍があり盲目で余命僅か。次女エレーナ(小暮智美)も女医で、非常に患者思いでいつも憂鬱そう。三女ナターリア(那須凜)は奔放で負けん気が強く、姉たちと同様に知的。片耳が聴こえない老従僕グレゴーリイ(名取幸政)と小間使いマリューシカ(田上唯)が仕えるのどかな昼さがり、率直なおしゃべりに華が咲く。

 三姉妹のいとこのスマーギン(豊田茂)はマリヤに思いを寄せ、ナターリアはアントンへの恋心を自覚する。病弱な妻に死なれてしまったアレクサンドルは、エレーナに恋文を書いたが、アントンに捨てられてしまった。恋がいっぱい…!(『かもめ』と同じ)

 エレーナとアントンは医師同士、互いの意見をぶつけ合う。ナターリアも負けてはいない。アントンは「冷たい人間だ」「こころが氷のように冷え切っている」「どこかひやりとしたところがある」「人間としての芯の部分が恐ろしく冷たいんじゃないか(だから有名作家になれた)」などと評され、自分自身もそう感じている。
 突然アントンは咳き込んで吐血。ニコライと同じ結核かもしれない。

[第四幕]
 30歳になったアントンは、流刑囚の暮らしぶりを調査するために、極東のサハリンへと向かう。ニコライが死ぬ3日前にニーナの居場所を教えてくれたのだ。
 ※演出の宮田さんのインタビューによると「行くだけで3カ月かかり、そこで滞在したのも3カ月で、また戻ってくるのに2、3カ月かかってる」「途中までは鉄道があるが、それから馬車で移動し、最後は船で川をずっとサハリンまで降りていく」という厳しい行程。
 
 流刑地から流刑地へと流されて南サハリンに至ったニーナは、左足の膝から下を切断されていて、両手の指も二本ずつ失っている。また、自分のことを姉のヴェーラだと思い込んでいた。ヴェーラはツァーリ暗殺を共謀した罪で流刑に処せられた。暗殺計画のために30回以上開かれた秘密会議の内、ヴェーラが参加したのは最初の2回だけ。なぜなら暗殺に反対していたからだ。しかし裁判ではそれが聞き入れられず、収監されてしまった。

 クラスノヤルスクの刑務所でヴェーラとニーナは再会し、妹の堕落を嘆いた姉は獄中自殺してしまう。ニーナは「兄と姉が母と私の希望だった、だから姉は死んではいけない、死んだのは私なのだ」と思いつめて、ヴェーラになりきってしまったのだ。アントンは10年前のホテルでの一夜のことを話して、2人はひとときだけ、優しい思い出を共有する。アントンが必死でニーナを正気に戻そうとすると、彼女は頑なに拒否し、錯乱。ニーナが大声で助けを呼んだため、軍医(高松潤)と、ニーナの夫である百姓のポポフが診察室に入ってきて、彼女を連れ出した。

 ポポフも、知らない内に馬泥棒の一味にされて流刑にされたという身の上で、今ではニーナと一緒になれたことを神に感謝していると言う。ニーナとポポフの間には4人の子供があり、ニーナは5人目を身ごもっていた。アントンはニコライが1枚だけ残していたニーナの裸婦画を、ポポフにプレゼントする。チェーホフと親交が深かったチャイコフスキーの「ロマンス」が流れて終幕。

●チェーホフ戯曲からの引用で気づいたこと(35冊もの参考文献をもとに書かれた戯曲です)

・実家の居間で原稿を書くアントンの横で、妹と末弟がソファに寝床を作るのは、『かもめ』のトレープレフが小説家になった後の場面(マーシャとその母ポリーナが寝床を作る)と似ている。
・アントンが「この胸の中から(ニーナへの恋心は)根こそぎ引っこ抜いた」と言う。引用元は『かもめ』のマーシャのセリフ。
・リントワリョーフ家の三人姉妹は『三人姉妹』。湖のほとりでの避暑は『かもめ』。
・アントンが実際に起きた面白いエピソードを手帳に書き留めるのは、『かもめ』のトリゴーリン。釣りに没頭するのも同じ。
・小説家として成功したアントンが避暑に訪れたリントワリョーフ家で、医師としての意見を述べる姿から、『かもめ』に登場する医師ドールンと重なる。
・老従僕グレゴーリイは『桜の園』のフィールスのよう。
・リントワリョーフ家の三女ナターリアがアントンを愛するのは、『かもめ』でニーナが小説家トリゴーリンを愛するのと似てる。トレープレフを愛するマーシャとも重なる。
・ニーナが「私はニーナじゃないヴェーラよ」と言うのは、『かもめ』のニーナのセリフ「私はかもめ、そうじゃない、私は女優」より。

●感想

 日本の観客がこれだけチェーホフ作品に親しんでいるのは、著作権が切れていて上演しやすいことも一因だと思います。2013年に、平田オリザさんがサルトル作『出口なし』をフランスで演出しようとした際、アンドロイドで上演することに反対した遺族(養女)が上演許可を出さなかったという出来事がありました(サルトルは1980年4月死去 ⇒参考リンク)。平田さんが2007年に発表された「著作物等の保護期間」についての資料には、「チェーホフが1904年に44歳で亡くなったため、日本では戦後、彼の作品を無償で上演できた(略)」とあります。まさにこの恩恵があったからこそ、今回のような豊かな二次創作を楽しめるのだと思います。

 ニーナの姉ヴェーラの罪状は「ツァーリ暗殺を共謀した罪」です。現在国会で審議中の「共謀罪(テロ等準備罪)」に当てはまる例としてぴったりです。ポポフが冤罪で流刑にされたエピソードも日本の冤罪について考える機会になると思います。

 ニーナ:たしかに肉体の苦痛はときに耐えがたい極限状態に達することもありました(略)でも、それよりもっと恐ろしいのは、不断に続く人間の精神の破壊ですわ。投獄と流刑は――人間そのものを退化させ、動物に変えてしまうことをその目論見としています。わたしにはその凶暴な思想こそがもっとも大きな苦痛でした。

 ※ある観客のツイートで知ったのですが、チラシの肖像画はニコライがアントンを描いたものだそうです。

第226回公演
出演:
アントン(チェーホフ家の三男)=横堀悦夫
ニーナ=安藤瞳
パーヴェル(父親)=山本龍二
エヴゲーニャ(母親)=大須賀裕子
アレクサンドル(長兄)=石母田史朗
ニコライ(次兄)/ポポフ=大家仁志
マリヤ(妹)=野々村のん
ミハイル(末弟)=松田周
アーニャ=坂寄奈津伎
シナイーダ(リントワリョーフ家の長女)=津田真澄
エレーナ(次女)=小暮智美
ナターリア(三女)=那須凜
スマーギン(三姉妹のいとこ)=豊田茂
グレゴーリイ(老従僕)=名取幸政
マリューシカ(小間使い)=田上唯
ドールゴフ中尉(コルサコフ監視所の軍医)=高松潤
脚本:マキノノゾミ 演出:宮田慶子
美術=伊藤雅子、照明=中川隆一、音響=長野朋美、衣裳=半田悦子、舞台監督=尾花真、製作=紫雲幸一・川上英四郎
【発売日】2017/03/02
一般4,800円/U25(25歳以下)3,500円
http://seinenza.com/performance/public/226.html

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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