村社祐太朗さんの演劇カンパニー「新聞家(しんぶんか)」が2017年7月の新作公演に向けた、ワークショップ・オーディションを実施します。詳細は公式サイトでご確認ください。
私は作品を拝見したことがないのですが、内野儀さんがゲンロンカフェのトークイベントで言及されていたり、知人から話も聞いてまして、興味を持ちました。12月公演を観て検討されるのもいいと思います。
■新聞家のワークショップ「他者を汲む」
期間:2017年1月27日(金)と2月3日(金)の2回続き
〈朝のグループ〉申し込み:http://ptix.co/2hkConT
【1週目】2017年1月27日(金) 10:00~15:00
【2週目】2017年2月3日(金) 10:00~15:00
〈夕のグループ〉申し込み:http://ptix.co/2hztkdX
【1週目】2017年1月27日(金) 16:00~21:00
【2週目】2017年2月3日(金) 16:00~21:00
会場:小田急線東北沢駅周辺
参加費:2500円
各グループ定員:4名
〆切:1/26まで(先着順、定員に達し次第締め切り)
新聞家のワークショップ「他者を汲む」の詳細を公開しました。2017年7月発表の新作に向け出会いを求めて、1/27と2/3の2回続きで実施します。定員は朝夕各4名ずつと少数なので、密度のあるWSをお探しの方ぜひチェックしてみてください。https://t.co/YBP0nkZdJt
— 新聞家 (@_sinbunka) 2016年12月11日
演劇カンパニー「新聞家」の話題を発端に、助成金や劇場、芸術監督など制度についての議論へ→【生放送】内野儀×佐々木敦「現代演劇の地図を描くために—「『J演劇』の場所」刊行記念」【ニッポンの演劇番外編】 https://t.co/Fly5VfGGj9 #ゲンロン161124
— ゲンロンカフェ@12月より放送時間変更 (@genroncafe) 2016年11月24日
いま話題の新聞家を味見するのにとっても適した作品がこちらで聴けます。上演自体は8分半の短いものなのでぜひご視聴ください。アップしている残りの45分は意見会の一部です。https://t.co/D6gHwlOWy7
— 村社祐太朗 (@Murakoso06) 2016年11月26日
新聞家のケース『鶯張り』第三話「障害者支援施設」の詳細を公開しました。https://t.co/l5lROBIwXf 座席数少数のためPeatixでの取り扱いになります。これが今年最後の上演です。ぜひともよろしくお願いいたします。
— 新聞家 (@_sinbunka) 2016年11月30日
以下、主催者より頂戴した情報です。
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新聞家のワークショップ「他者を汲む」
〈朝のグループ〉申し込み:http://ptix.co/2hkConT
【1週目】2017年1月27日(金) 10:00 – 15:00
【2週目】2017年2月3日(金) 10:00 – 15:00
〈夕のグループ〉申し込み:http://ptix.co/2hztkdX
【1週目】2017年1月27日(金) 16:00 – 21:00
【2週目】2017年2月3日(金) 16:00 – 21:00
会場:小田急線東北沢駅周辺
参加費:2500円
詳細:http://sinbunka.com/others
「他者を汲む」ワークショップとは
このたび新聞家は普段より少し大掛かりな(2回つづきの)ワークショップを開催します。2017年7月に発表する新作公演に向けて、互いがともに作品をつくりたいと思える出会いがあるようにと、場を設けたいと思います。ぜひご参加ください。
新聞家が制作の場で日々取り組んでいるのは、テキストを「理解できないもの」として認識するための“話し合い”です。テキストはもちろん一義には理解できます。その意味を理解することで、普段わたしたちは対話を前に進めています。本を読んだり、会話をしたり、空気を読んだり、手を繋いだり、眼を見つめたりするのもそう。テキストは文字に限らず、わたしたちが読み取るべきものとして、他者や物の表面に書かれています。しかし忘れてはならないのは、どこまでが表面で、どこからが「表面とは言えないかもしれないもの」なのか、その明確な分別はわたしたちに永遠に与えられないということです。そのことがよく忘れられてしまいます。見えているように思えるテキストはいつの間にか中まで食い入っていて、目に見えない暗部まで、根のように編み込まれているんだということが。そういう意味でテキストが「理解できないもの」であるという認識を、演者の方や他の共同制作者の方たちとの話し合いによってなんとか手繰り寄せようと、新聞家は日々取り組んでいます。
最終的には不可能だとは分かっていながら、他者を汲むだけの誠実さを生きてみる。その機会をワークショップというかたちで設けてみます。「本当のこと」は自分自身からでさえ離れています。例えば相手のことを本当に愛しているのか、そのことは事実いつまでも未明なままです。でもだからそれを知るために、瞬間的にだろうと何度も何度も、「これは愛だな」という予感と信念に震えるために、恍惚な曇りを自らの琴線に吹き付けるために、彼女と会い、眼を見て、その不可解さを抱きしめるのでしょう。演劇にはそれができると思います。少なくともわたしには大事だと思えるそのことが。(村社)
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※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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