【転載】マーティン・スコセッシ監督が高松宮殿下記念世界文化賞(第28回・2016年)の演劇・映像部門を受賞

 高松宮殿下記念世界文化賞(第28回・2016年)の演劇・映像部門をマーティン・スコセッシ監督が受賞されました。私は10代の頃に彼の映画を拝見し、ロバート・デ・ニーロ、ジョディー・フォスター出演の「タクシードライバー」には非常に大きな影響を受けました。

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 産経新聞のニュースに掲載されたロングインタビューから転載します。次代の若者へのメッセージとしておっしゃっていることに感銘受けました。

 「創造性を語る上で大切なのは、過去にどんな名匠がいてどんな名作を残しているかを把握し、その言語を理解すること、そしてそれらの名匠に敬意を払うことだと思う。若い人たちが映像で自己表現をする場合、技術の進歩で何でも作れるようになっているが、そこには心の声がこもっていなくてはいけない。その声が出てくるまで、もだえ苦しまなくてはいけない。そしてその声が何かということに気付いたら、燃えるような情熱を持って伝えなくてはいけない。その声を発しなくては寝られない、生きられないという燃える思いがなくてはいけない。」

 ※京都賞2007受賞者であるピナ・バウシュさんの動画&テキストもよかったらどうぞ。
 以下、記録しておきたいので、勝手ながら全文転載します。

産経新聞「世界文化賞」
 マーティン・スコセッシ氏(演劇・映像部門)「自分が楽しくなかったら何かが間違っている」(2016.10.17 21:36)

 写真:個別記者懇談会で取材に応じる演劇・映像部門受賞のマーティン・スコセッシ氏=17日午後、東京・虎ノ門のホテルオークラ東京(川口良介撮影)

 第28回(2016年)世界文化賞の演劇・映像部門受賞者、マーティン・スコセッシ氏(アメリカ)の合同記者会見での言葉と個別懇談会での主な発言は次の通り。

【合同記者会見】

 「実に驚いている。ここに来られたこと、この賞を受賞することは光栄だし、生涯の実績を顕彰してもらえるというのはとても刺激的だ。

 私はもうすぐ74歳になるが、若い頃は60~70歳になれば知るべきことをすべて知ることができるのではと思っていた。でもそれは間違いだった。まだ何も知らないということを知っただけだった。

 知るために学び、理解しようとする手段に芸術があり、そのプロセスにはインスピレーションが必要だと感じている。私は50~55年前から日本にインスピレーションを受けている。映画に関しては13歳か14歳のとき、ニューヨークで溝口健二監督の『雨月物語』をテレビで見た。それに黒澤明監督の『生きる』。これらの作品は日本映画の新しい波で、私の目も頭も覚醒させてくれた。日本はほかに文学、絵画、風景からもインスパイアされている。私の生涯を豊かなものにしてくれたその日本で顕彰されるということは大変な意義がある。だから今回の受賞はとても光栄に思う」

【個別懇談会での主な発言】

 --映画監督の受賞者は11人目だが、過去の受賞監督の思い出などがあれば

 「フェデリコ・フェリーニ(第2回)やイングマール・ベルイマン(第3回)、ジャン=リュック・ゴダール(第14回)、ケン・ローチ(第15回)ら過去の名監督たちと同じ立場になるというのは、まるで違う世界に来たかのようでとても光栄に感じる。

 つい先日亡くなったアンジェイ・ワイダ(第8回)は長年の友人で、その訃報には心を痛めた。彼は私の『ヒューゴの不思議な発明』を3Dで見てくれたらしい。『灰とダイヤモンド』などとても心に響く映画だった。

 アッバス・キアロスタミ(第16回)の死去も非常に悲しい出来事だった。昨年に会ったばかりの親しい友人で、15年の付き合いがある。彼の作品は映画を新しい形で再定義しており、全く個性的だった。何よりも人間的にすばらしい人だった。

 またリチャード・アッテンボロー(第10回)とは、彼の最後の映画を一緒に製作しようとしたことがあり、その企画はアシフ・カパディア監督で現在、『シルバー・ゴースト(原題)』として映画化が進められている。

 さらに黒澤明(第4回)ともよき友人で、1989年の『夢』に私は出演している。80年ごろのこと、彼がニューヨーク映画祭に来たとき、私は10分でいいからと面会を申し込んだ。そこでお願いしたのは、名画の保存状態が悪いという状況を改善するのに手を貸してほしいということで、普段から早口だが、10分しかなかったからもっと早口でまくし立てた。その後、帰国した黒澤から美しい電報が届いて、名前を使っていいという返事が書かれていた。

 ちょうどその頃、黒澤は『夢』の準備をしていて、『影武者』でプロデューサーを務めたフランシス・フォード・コッポラ(第25回)に『ゴッホの役で、君の友だちのスコセッシというすごく早口の彼に出てもらえないだろうか』と打診したらしい。フランシスは、全く問題ないよと答えて、その後、黒澤から長文の手紙が来た。台本を読んで、私は出ることを決断した。

 実は私は『グッド・フェローズ』の撮影中で、予定よりも15日も遅れていた。一方、黒澤の『夢』はほぼ完了して、私を待つだけだった。もう日本に行かなくてはならない状況になり、東京に着いたが、今度は台風で撮影場所の北海道・網走に行けない。やっと1日遅れで撮影に加わったという記憶が残っている。

ほかにも過去の受賞監督とはさまざまな思い出がある。中でもフランシスは、私の初期の映画を世に出すことにいろいろ貢献してくれた。私の両親が彼の両親と親しくて、彼の映画に脇役で出たこともある。わずかな出演料をもらって、とても喜んでいたよ」

 --新作として遠藤周作の「沈黙」を映画化したが、自身の宗教的な背景について聞きたい

 「非常に複雑な話なのでできるだけ簡潔に答えたい。両親はシチリアの移民で、特別に宗教色が濃い家族ではなかった。だが通ったのはカトリックの学校で、ニューヨークのイタリア系が多く住む地域にあった。私はぜんそく持ちだったので映画館とカトリックの教会が逃げ場だった。走ることも笑うこともできなかったからね。

 教会ではさまざまな宗教的な儀式を見て、心を打たれたと同時に、救済というものに興味を持った。54~55年ごろ、若い神父が私が住んでいた教区に来て、今までのような古い生き方に縛られる必要がないと示唆された。彼は教育を受ければどんな人間にもなれると説いた。音楽や本、道徳的な指針を示してくれた。

 当時のニューヨークで移民が住む世界は大半は真面目な人たちだったが、教育はほとんど受けていなかった。アメリカに来て職を得て、家族を養うのに精いっぱいだった。

 当時、移民は出身地によって分かれ、自分たちの世界にこもりがちだった。そういう社会情勢から犯罪階級が生まれ、多くの暴力沙汰が起きていた。神父からはキリスト教の愛や善といったものを教わり、一方では暴力にあふれた厳しい現実がある。なぜ人間にはこの両方が混在するのか、私は非常に苦しんだ。そのような経験から、私の過去のさまざまな作品が誕生したという事実がある」

 --ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したことについて

 「私も大変驚いた。と同時に、とてもうれしかった。私はボブ・ディランのことをミュージシャンととらえたことはない。彼の作品はまさに詩だと思う。彼は60年代、70年代から今に至るまで、私たちの文化を形づくってきた。人生の一部を表現しており、生き方そのものを歌っている。

 ロックンロールといった言葉で語られるとき、それは少し見下している感じがする。それは決して正しくはない。はるか昔、ギリシャ時代から詩を読むときは必ず音楽があった。『イリアス』を読むときは、音楽が伴われた。言葉そのものが音楽で、それはどの詩もそうだと思う。俳句もそうだろう。ディランの歌詞に『生きるのに忙しくなければ死ぬのに忙しくなってしまう』というのがあるが、これこそが彼の生き方を表しているのではないか。

 例えば『風に吹かれて』『はげしい雨が降る』『ジョアンナのヴィジョン』などは人間性を感じられるものだ。彼は暴力的な怒りを表すのではなく、愛を語っている。それが彼の作品で最も重要だと思う。

 文学には翻訳の問題がある。シェークスピアが日本語ではどう受け取られるのか。私は谷崎潤一郎や川端康成を英語で読むが、恐らく3~4割はそがれるような気がする。ただ映像と音楽はそがれることはない。溝口健二や黒澤明に代表されるように映画は普遍的なもので、字幕がなくても十分に伝わる。それは詩の世界にも通じると思う」

 --業績の一つに名画の復元があるが、次代の若者に何を伝えるか

 「創造性を語る上で大切なのは、過去にどんな名匠がいてどんな名作を残しているかを把握し、その言語を理解すること、そしてそれらの名匠に敬意を払うことだと思う。若い人たちが映像で自己表現をする場合、技術の進歩で何でも作れるようになっているが、そこには心の声がこもっていなくてはいけない。その声が出てくるまで、もだえ苦しまなくてはいけない。そしてその声が何かということに気付いたら、燃えるような情熱を持って伝えなくてはいけない。その声を発しなくては寝られない、生きられないという燃える思いがなくてはいけない。

 コメディアンのジェリー・ルイスは現在90歳だが、今もすごく丈夫でよくしゃべる。あるイベントで、彼にこんな質問をした人がいた。朝、セットに入って仕事を始めるときはどんな気分か、なぜいつまでも興味を持ち続けられるのか。彼の答えは私の意見と全く同じだった。もし自分が楽しいと思わなかったら、何かが間違っているんだ、と。

 楽しむというのはみんなが笑っていて朗らかということではなく、たいていは逆のことが多い。自分がやりたいことを夢中になってやって、気付いたら一日が終わっていたというのが本当の楽しみで、それを手に入れるということは、すばらしい宝物だと思う」

 --デジタル全盛の時代でフィルムで映画を撮り続ける意味は

 「私はフィルムしか知らない時代に育った。将来、デジタルの時代になるということは分かっていたが、私にとってはデジタルは別のツールだと思っている。

 8~9年前は、映像の保存のためにはデジタルが最も適しているという考えがあった。でもここ数年で、一番確実な保存方法はフィルムであり、きちんとした保管状態なら100年まで大丈夫だということ、本当に適切な媒体が生まれるまで保存できるということが分かった。映画製作においてはフィルムはなくなってきているが、確実に後世に作品を残すためにはフィルムだといわれている。私の最新作『沈黙-サイレンス-』は、75%はフィルムで撮影している」

(「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞者取材班 2016年、ホテルオークラ)

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