パルコ・プロデュース『ゲルニカ』09/04-09/27パルコ劇場

 私は自主的ロックダウン生活続行中で、8月以降は全く観劇をしていません(涙)。映像鑑賞は得意ではないのですが、『ゲルニカ』はすごく観たかったので、1回限りらしきライブ配信(9/24夜)が本当にありがたかったです。上演時間は約2時間50分(休憩20分含む)。

≪あらすじ≫ https://stage.parco.jp/program/guernica/
ピカソの名画に描かれたゲルニカの街、未来の為に戦う人々の珠玉の人間ドラマ

戦争は 遠くにあると思っていた。
あの日までは。

ゲルニカの元領主の娘として、なに不自由なく生きてきたサラ。しかし、世間では旧体制派と新体制派が激突。
ドイツやソビエトなどの軍隊も加わり、スペイン内戦が本格化していた。サラの婚礼直前、幼なじみの婚約者が突然、戦いに参加したいと出て行ってしまう。この国で今、なにが起きているのか。街の食堂に出入りするようになったサラは、街の人々や兵士たち、海外特派員と触れ合い、各地で激戦が行われているのを知る。イグナシオという兵士と出会い、いつしか恋に落ちるサラ。しかし、彼はドイツ軍のスパイで、密かにゲルニカを爆撃するための工作を進めていた。そんな折、サラの妊娠が発覚。人々の思いが交錯する中、戦いは激しさを増し、空爆がゲルニカの街を襲う……。
≪ここまで≫

 空間(美術、照明、映像など)や演技に抽象表現が多用されているおかげで、突然、浮遊するように劇世界が拡張したり、狭く小さく凝縮したり、意外な瞬間に静止して遠のいたりします。戯曲を捉えるまなざしが近くと遠くを素早く軽やかに行き来しても重厚感が損なわれないのは、座組が作品の芯をしっかりと守り、地に足のついた状態を保っているからだと思います。

 台本に印刷された二次元の言葉が舞台上の俳優に語られることで、もともと備わっていた意味や重みが実体を獲得し、多様な人間それぞれの肉声としてずっしりと響きます。日常会話、議論、独白(独り言)、宣言、祈りといった様々な表現方法を採用することで、“1930年代の史実をもとにした創作物語”に収まることなく、世界中のあまたの死者たちの叫びや、未来からの啓示のようにも受け取れました。

 念のために改めて書いておきますが、自宅のテレビで見たので“観劇体験”はできていません。劇場で観たかったですね…。あと、観客がいる劇場でのライブ配信であることが、私にとっては大切なのだとわかりました。無観客上演や記録映像とは違いますね。

 ここからネタバレします。

 ゲルニカとはスペインの街の名前で、私はピカソの有名な絵としてよく見知っていましたが、バスク地方については全く存じ上げず。バスク語を話すバスク人が暮らす地域で、スペインとフランスにまたがっているんですね。

 国王が亡命し王政から共和制へと移行したスペインで、ゲルニカの住民は昔に戻りたい人々と、新しい社会へと踏み出した人々とに分断されました。母マリアにがんじがらめにされている主人公サラが、かつての使用人と再会する場面で、その空気がよく伝わってきます。やがてフランシス・フランコ率いる反乱軍がモロッコで蜂起し、他国の干渉も招いた内戦状態に。戦場ジャーナリストの存在が、市井の人々が知らぬ間に戦争に巻き込まれていく構造を見えやすくしていたと思います。

 舞台奥の壁や中央に降りてくるスクリーンに画像、映像を映写し、回り舞台で場面転換します。新聞記事の文字を字幕表示したり、大きな丸い月を映し出したり…あの月はイグナシオ(ドイツ軍スパイ)の象徴かしら。激戦地の木々の枝にひっかかった小さな人形の影は残酷でした。ゲルニカが戦闘機による集中砲火を浴び、無差別殺戮が行われる場面は、舞台奥全面にピカソの絵がいくつも映写されました。絵の真ん中にあり続けた黒い影はゲルニカの聖なる樫の樹でしょうか。血まみれの子(布)を抱え、血に染まったスカートで歩くサラを見て、原爆で死んだ妊婦のお腹から胎児が飛び出していたエピソードを思い出しました。降りてくる幕が人々に覆いかぶさる演出は空爆の表現として非常に生々しかったです。

 床に落とす十字の照明は厳格なキリスト教や家父長制による拘束、人間同士の決定的なすれ違い、運命の分かれ道などをすぐに想像できました。たとえばそこで母マリアと娘サラが会話をする際、俳優が相手の顔を見ず違う方向に視線をやり、どこか遠くに向かって語ることがありました。心の中の決意や、世界に投げかける問いにも聞こえて、セリフが特定の人物だけのものではなくなりました。

 私は自然な会話に徹底するお芝居ももちろん好きですが、今作のような思い切った、振れ幅の広いものも大好きです。これまでの蓄積や新しいアイデアを駆使した栗山民也さんの演出は高密度で示唆に富み、観客がさまざまに思考を巡らせる余白も残していて、余裕を感じます。また、長田育恵さんが創作した物語とセリフは、奇抜とも受け取れる演出手法に負けていないと思いました。

 出演者ではキムラ緑子さんが抜群でした。初登場の場面で女中に言った「出て行きなさい」(だったかな)のひとことで、演技の確かさが伝わりました。次に好印象だったのは女中役の石村みかさん。やっぱり初登場場面でわかるものですね。主役の上白石萌歌さんは20歳という若さにもかかわらず、堂々として、覚悟がある印象を受けました。ただ、セリフを発した直後に息を吸い、その都度「ヒッ」と音が鳴るのは気になりました。

 音楽は国広和毅さんですね。私の想像の“スペイン”をすぐに思い浮かべることができました。よく耳にするタイプの典型的なメロディーではなく、独創性が感じられて、物語に寄り添っていくのもよかったです。ピアノのとても静かな音色も印象深かったですね(演奏者の姿がチラリと見えたので生演奏かしら)。合唱と群舞(拍手と足踏み)の組み合わせは、熱を帯びてはいるものの激しすぎず、また“いかにもフラメンコらしい振付”ではなく、さりげないのも好みでした。

≪東京、新潟、豊橋、北九州】
出演:
死んだ領主の娘サラ(本当は女中の娘/女中は元ジプシー/いとこのテオと結婚するはずがテオが出征/イグナシオの子を身ごもる/お腹の赤ん坊にはエスペランツァ(希望)と名付けた):上白石萌歌
イグナシオ(スペイン系ドイツ人の若き数学研究者/母がユダヤ人で自分の血はけがれていると思っている/自称ミノタウロス/偶然出会ったテオを射殺してしまい、彼の遺品をサラに届ける/マリアにゲルニカ爆撃の可否を問う/身重のサラに「早くゲルニカから逃げろ」と助言だけして去る):中山優馬
男性記者(戦場をセンセーショナルに描写する/「希望が戦争を招く」):勝地涼
女性記者(海外特派員/男性記者が彼女の“性癖”に言及):早霧せいな
マリア(サラの母で不妊症の未亡人/神父と密通/テオとも関係を持つ/領主としてゲルニカ市民を守ろうとするがサラに捨てられ気が変わる):キムラ緑子
バスクの若者(バスク独立を目指す/内戦の前線から帰還するが酒浸りに):玉置玲央
テオ(マリアの親戚でサラの婚約者/結婚式の日に出兵しイグナシオに射殺される):松島庄汰 
バスクの戦士(記者たちの護衛になる):林田一高
バスクの若者(母が認知症/猫好き/猫を殺しウサギ肉として売ろうとした難民を殺害):後藤剛範 
かつて領主に仕えていた食堂店主(家を出たサラと暮らすようになる):谷川昭一朗 
女中(サラの実母/元ジプシー/ゲルニカに流入した難民に襲われ死亡):石村みか 
神父(王政支持者/マリアと密通/ドイツ軍・イグナシオと領主マリアをつなぐ):谷田歩 
作:長田育恵 演出:栗山民也 美術:二村周作 照明:服部基 音楽:国広和毅 音響:井上正弘 衣裳:前田文子 ヘアメイク: 鎌田直樹 映像デザイン:上田大樹 ステージング:田井中智子 演出助手:長町多寿子/神野真理亜 舞台監督: 藤崎遊 制作:石井宏美 プロデューサー:佐藤玄 柳原一太 製作:井上肇
料金(全席指定・税込)9,800円
一般発売日2020年8月1日(土)
※当初予定しておりました7月11日(土)より変更となりました。
※9月19日以降の公演は、入場制限緩和に伴い、当初空席としていた座席を追加で販売いたします。
一般発売日:9月16日(水)12:00
<ライブ配信期間>2020年9月24日(木) 18:30開演
※予定枚数に達し次第販売終了
※途中から視聴した場合はその時点からのライブ配信となり、巻き戻しての再生はできません。
<視聴チケット料金>3,000円(税込)
※本公演では、一部喫煙の場面がございます。使用しておりますものは、健康に配慮した咳止め薬でございます。予めご了承くださいますようお願い申し上げます。
https://stage.parco.jp/program/guernica/

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
~・~・~・~・~・~・~・~
★“しのぶの演劇レビュー”TOPページはこちらです。
 便利な無料メルマガ↓も発行しております♪

メルマガ登録・解除 ID: 0000134861
今、面白い演劇はコレ!年200本観劇人のお薦め舞台

   

バックナンバー powered by まぐまぐトップページへ