パルコ・プロデュース『人形の家 Part2』08/09-09/01紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

 イプセン作『人形の家』の15年後を描いた2017年の米国戯曲を、栗山民也さんが演出されます。主演は永作博美さん。

 私が観た回の上演時間は約1時間40分だったと思います(公式だと1時間45分)。当日パンフレット(1500円)の寄稿(毛利三彌さん、千田有紀さんら)が充実していて、観劇後に読んで頭の整理ができました。悲劇喜劇 2019年09月号↓に翻訳戯曲が掲載されています。

悲劇喜劇 2019年 09月号
悲劇喜劇 2019年 09月号

posted with amazlet at 19.08.12
早川書房 (2019-08-07)

≪あらすじ≫ (俳優名)を追加。https://stage.parco.jp/program/dollshouse2
15年ぶりに家に帰ってきたノラ(永作博美)。乳母(梅沢昌代)は驚きながらも歓迎し、夫(山崎一)との和解を勧める。
しかしノラの目的は別にあった。
実はこの15年の間に、ノラは女流作家として成功を収めていた。
本名を伏せ自身の経験を綴った作品は、多くの女性の共感と反響を呼んだ。
しかしある女性読者の夫に、ノラの「未婚の 女流作家」という立場が偽りであるという事実を掴まれ、世間に公表すると脅迫されていた。
ノラは、この危機を回避するために夫との離婚を成立させるべく家に戻ってきたのだった。
≪ここまで≫

 面白い戯曲でした。結婚という国の制度が人間を縛ることは、今の日本でもよく話題になります(たとえば選択的夫婦別姓制度など)。『人形の家』は1879年に出版されたノルウェーの戯曲です。単純計算だとその15年後は1894年ですので、このお芝居の舞台は今から約125年前です。

 衣装や舞台美術の効果もあってか、現代の話だと思って観ることになりました。国のルールが個人(今作の場合は特に女性)の自由を制限することと、その制限があるからこそ人間の生活が安定し、守られること。そのどちらを支持する気持ちもわかるし、正しいと思えました。このせめぎ合いは私自身の課題でもあります。ノラの孤立無援の戦いは、アヌイ作『アンチゴーヌ』に似ていると思いました。

 ここからネタバレします。事実誤認があったらすみません。

 まずノラがスーツ姿だったことで、すぐに現代日本と接続できました。前半は残念ながら何を言っているのかわからない時間が長かったです。発言の動機や、誰に向かっているのかが不明瞭というか、客席に向かう意識も感じ取りにくかったんですよね。ノラの3人目の子供エミー(那須凜)が登場して、ぐっと面白くなりました。それまでの世界がすっかり変わりました。

 女性は男性と結婚すると仕事ができない、契約書にサインできない、恋人を作れない。ノラが生きる時代は、これらが全部違法です。ノラは仕事をして成功していますので、当然、離婚済みの独身女性として契約書も交わしていたでしょう。恋人もいました。夫トルヴァルが離婚届を出していなかったせいで、ノラは犯罪者になってしまったのです。離婚届を出すことも夫にしかできないので、ノラはそれを頼むために15年ぶりに実家を訪れました。

 トルヴァルは銀行経営者で、離婚がタブーな社会においても、妻の失踪などというスキャンダルはもっての他でした。彼がひたすら黙っていたせいで、周囲は「ノラは死んだ」と思い込み、寄付や国からの援助(たぶん)まで受けることに。そのまま15年が過ぎたのです。今になって(死亡届ではなく)離婚届を提出することは、トルヴァルの長年の嘘がバレることになります。

 エミーは父トルヴァルの会社につとめる青年ヨルゲン(だったかな)と婚約中ですが、もしノラが生きていたことがバレたら父は失脚し、婚約も破談になるでしょう。エミーはノラに、偽の死亡届を出すことを提案します(娘が母を殺そうしているようにも解釈できてスリリング)。そうすればノラが正式に死んだことになってトルヴァルの面目は保たれるし、ノラは2年ほど隠れて、ほとぼりがさめたころにペンネームで活動再会すればいい、と。ノラは自分の娘が公文書の改ざんをすることに対して、激しい拒否反応を示します。そういえばノラが父のサインを偽造して借用証を書いたことが、『人形の家』での致命的な問題だったんですよね。

 頭を怪我をしたトルヴァルが登場。乳母とエミーが去って夫婦の対決が始まります。なんとトルヴァルは、すでに役所に離婚届を出してきたと言いました。驚いた役所の人ともみ合って転び、頭を怪我したとのこと(たぶん)。トルヴァルは乳母から聞いてノラの著書を読み、怒っていました。自分のことを悪く書いてある、と。ノラを見返したくて、彼女に勝ちたくて、彼は15年間の嘘を告白したようです。これで何もかも失うと知りながら。

 でもノラにとっては、もう離婚などどうでもいいことになっていました。「結婚という契約に縛られて、誰かのものになりたい」というエミーの言葉もショックだったのだと思います。今のルールを受け入れて、それに則って隠れて生き残っても、世界は変わらない。エミーやその子孫に、自由な未来を残せないのです。ノラはこの後、全てを明らかにして、何もかもを捨てて、一からやり直すことになるのでしょうね。そして「女性は男性と結婚すると仕事ができない、契約書にサインできない、恋人を作れない」という理不尽なルールを覆すべく、再び動き出すのだろうと思います。

 すべてを失った(または失うことを決意した)夫婦が、並んでソファに座っている図は、互いを個人として認め合った、自立した人間同士の一瞬の交流に見えました。残酷ですが、豊かな時間でした。 
 
 ノラは、実家を出てから自分の好きなことができるようになるまで、2年かかったと言っていました。「自分の声を聴くこと」は、今も簡単なことではないと思います。私は劇場でお芝居を観ている間に、自分の中から生まれてくる色んな感覚、感情を知り、味わって、観劇後にそれらを反芻して、自分自身を知ろうとしてきたのだと思います。知る(聴く)ことから、具体的な行動に移せるのかどうか。それも大きな課題ですね。

 千田有紀さんの寄稿より。日本での上演時はフェミニスト女性までも、ノラが子供3人を置いて家を出たことを非難していたそうです。例えば平塚らいてうは「ノラを強い調子でなじっていた」。でも「子供に対する権利(親権)を全く持てなかった当時の女性たちは、家を出る際には子供を置いていくしかなかった」とのこと(2019/08/14加筆)。