【写真レポート】SPAC「「ふじのくに⇄せかい演劇祭2018」東京プレス発表会」03/15ゲーテ・インスティトゥート(東京ドイツ文化センター)

チラシビジュアル
チラシビジュアル

 演出家の宮城聰さんが芸術総監督をつとめるSPAC-静岡県舞台芸術センターが、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2018」の東京プレス発表会を開催しました。
 過去記事⇒⇒2009年2010年2011年2012年2013年、2014年[]、2015年、2016年[]、2017年

●SPAC-静岡県舞台芸術センター「ふじのくに⇄せかい演劇祭2018」⇒公式サイト
 日程:2018年4月28日(土)~5月6日(日)
 会場:静岡芸術劇場/舞台芸術公園/駿府城公園/静岡市街地の空き店舗/ほか
 ⇒残席状況はINFORMATIONページで更新されます。
 ⇒タイムテーブル(PDF)

 今年も私はゴールデンウィークに静岡行脚いたします♪

写真左から:ペーター・アンダース、宮城聰、小島章司、ヤン・ブードー
写真左から:ペーター・アンダース、宮城聰、小島章司、ヤン・ブードー

 司会はSPAC所属俳優の永井健二さんと石井萠水さんでした。プレス発表会全体の長文レポートです。気になる演目を選んでお読みいただければと思います。

●演劇祭のテーマおよび全体概要

宮城聰(SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督):とにかく今の時代はいかに発信するか、その発信のスキル(=技能)ばかりが語られるようになってしまった。この場合の発信とは、相手が想定されてない独り言としての発信です。相手というフォーカスがなくて、誰かという相手も設定せずに、ともかく独り言として発信する。その発信の仕方が上手だと、たくさんの人が「いいね!」と言ってくれる。こういう発信の仕方ばかりがスキルとして上達するような時代になってしまいました。

宮城聰
宮城聰

 ここで一番取り残されているのが、聴くスキル、耳を傾けるスキル。人の話を聴くという技術については、全くネグレクト(無視、怠慢、放棄)されてしまう。ある意味最も古いメディアである演劇、ダンスという舞台芸術の人間たちは、この状況にどう抗うのかがポイントになっていると思います。抗うというよりも、自分の中から湧き出てきて止めようがない、と言うべきかもしれません。止めようがなく相手を欲する、聴き手を欲するというのが舞台芸術の表現者の生理、ないしは欲望だと思います。聴き手、聴衆、つまり自分の表現を受け止めてくれる人を見つけて、その人に耳を傾けてもらおうとする。

 その観点で、必死に自分の表現に耳を傾けてもらおうとしているアーティストたちを招いたのが、今回の演劇祭のラインナップです。4/28~30に上演される4演目中、SPAC『寿歌』以外の3本は西ヨーロッパの作品です。最先端、極北、流行と言える3本で、たった3本ではありますが、今日の西ヨーロッパの演劇の見取り図として良い選択をしているのではないかと自負しています。最先端はトーマス・オスターマイアー演出『民衆の敵』、極北がクロード・レジ演出『夢と錯乱』、そして流行がジャン・ランベール=ヴィルド自ら出演もこなしている『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』です。大作を非常に少ない人数でつくるのは、西ヨーロッパの顕著な傾向だと思います。

宮城聰
宮城聰

 SPAC『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』以外で5/3~6に上演されるのは、西ヨーロッパの作品が3本、そして「ストレンジシード」というストリートシアターフェスティバルです。この4演目はいわば新しい傾向、または今まで演劇という範疇にあまり入れていなかった、ギリギリのエッジにある表現。さらに僕たちの演劇祭全体がストリート、つまり街なかに開いていこうとする、未来への方向を示しています。

 
●ベルリン・シャウビューネ『民衆の敵』(ドイツ、ベルリン)
http://festival-shizuoka.jp/program/an-enemy-of-the-people/

石井:ドイツ演劇界最大のスター、トーマス・オスターマイアー率いるベルリン・シャウビューネが、代表作『民衆の敵』で13年ぶりに来日いたします。本作はイプセンの社会劇をアクチュアルな問題作として立ち上げ、世界30都市以上で上演し、大きな話題を呼びました。とある田舎の温泉町で起きた公害に対して、正義を貫く医師と、町の経済を守りたい政治家やマスコミとの対立を描いています。町民集会の演説シーンでは、観客はその聴衆として実際に意見を求められ、他人事ではいられない。そんな演劇体験が待ち受けています。
 ゲーテ・インスティトゥート東京(東京ドイツ文化センター)所長のペーター・アンダースさんにお話をいただきたいと思います。

ペーター・アンダース(通訳:小高慶子):オスターマイアー演出『民衆の敵』は、今日の私たちの世界で演劇の持つ力がどのような役割を果たすかについて、宮城さんがおっしゃったことを確認するような作品です。演劇の力は公共の場で議論するところにあるのではないかと私は考えています。イプセン作、オスターマイアー演出『民衆の敵』の中心になっているのは、議論をする場面なのです。

ペーター・アンダース
ペーター・アンダース

 ドイツには「怒れる市民」という言葉があり、『民衆の敵』の主人公である開業医トマス・ストックマンは、それを体現する存在と言えます。作中では環境汚染が一つの大きな問題として取り上げられ、ストックマンと、彼とは逆の考えを持つ市民が議論します。環境汚染の被害を受けた町で、真実と経済のどちらが優先されるのか。観客の皆さんは、自分の言葉で考えを述べることを求められます。議論の中で演劇の力が生まれてくるのではないでしょうか。

 ここで問題になるのが民主主義というキーワードです。どのように民主主義を実現していくのか? 多数決の果たす役割とは? 家族や友人などのいろいろなグループの中で、自分の決心がどのように移っていくのかを、実際に体験できるかもしれません。
 もう一つキーワードを申し上げますと、大きな抵抗運動のあった1968年から、今年でちょうど50年です。この50年間に民主主義がどのように変わってきたかを考えるきっかけにもなると思います。

宮城:オスターマイアー氏はなんと12年半ぶりの来日なんですね。『火の顔』『ノラ』で来日した頃は新進気鋭というポジションで紹介されました。その後の12年余りで、まさにヨーロッパを代表する演出家になられて、もうこの数年は僕も、ヨーロッパの演劇を呼ぶならオスターマイアー氏の芝居を呼ばないのはおかしいと思っていて、なんとか彼の芝居を招聘したいと、この数年交渉を重ねてきました。
 彼の最近の代表作『民衆の敵』について、ペーター所長も対話がポイントだとおっしゃいました。僕がこの作品を拝見した時も、観客が自らの意見を発言して議論が起こり、その場が非常に高揚しました。観客席にいて生の議論の中に巻き込まれて興奮したわけです。舞台から投げかけられる問いに対して、日本の観客がどのように応じていくのだろうか。彼らの技量が発揮される部分でもあり、ハラハラしながらも楽しみな気持ちでいっぱいです。

写真左から:宮城聰、小高慶子、ペーター・アンダース
写真左から:宮城聰、小高慶子、ペーター・アンダース

ペーター・アンダース:観客の皆さまは、どうぞご心配なく参加してください。私も、誰かが急に自分のところに来て「意見を言え」と言われたら大変困ってしまうタイプです。そういうことは起こりません。何かを強要されるわけではなく、上演の一部になっていただくということですので、ご安心ください。

 
●アトリエ・コンタンポラン『夢と錯乱』(フランス、パリ)
http://festival-shizuoka.jp/program/dream-and-derangement/

永井:2010年に『彼方へ 海の讃歌(オード)』を上演、また2013年には『室内』の共同製作を行い、SPACと固い絆で結ばれたフランス演劇界の至宝クロード・レジ。93歳で演出した本作を、レジが愛してやまない漆黒の空間「楕円堂」にて上演いたします。本日は出演俳優のヤン・ブードー氏が香港での公演を終えて駆けつけてくださいました。ブードー氏は1996年にレジ氏のワークショップに参加されて以降、レジ氏の作品には何作もご出演されています。

ヤン・ブードー(通訳:横山義志):『夢と錯乱』は詩人ゲオルク・トラークルのテクストです。第一次世界大戦中に亡くなったんですが、亡くなる数ヶ月前に書かれました。過去の記憶がよみがえってくるお話です。一人の若い男が主人公で、父親の死や、自分の妹に対する愛について語られます。祖先たちの霊魂が支配している家が舞台になっています。彼を脅かす恐ろしい母親が登場します。

ヤン・ブードー
ヤン・ブードー

 いずれにしても非常に分かりにくいテクストです。2つのテクストがある、と言ってもよいでしょう。書かれているテクストと、書かれてはいないけれども聞き取っていただくべきテクストです。ここで語られているテーマは「死」と「近親相姦」と「狂気」です。こういったテーマの中で光を追い求める、自らをより高めることを追い求める、ということが描かれています。暗いところに降りていくことによって、暗さを光へと変容させるということが書かれています。

 これは個人的な話でもあります。おそらく皆さんの誰もが一度、暗いところ、あるいは失敗を経験することによって、より高みへ行くという経験があったと思います。このテクストはもちろん、非常に暗くて、かなりきつい内容です。けれども何か意味があるテクストだと思っています。おそらく自分自身との本物の出会いを語っていると思います。トラークルの書き方は非常にシンプルで、言葉もシンプルです。でもそのシンプルな言葉遣いの裏に、非常に豊かな生(せい)があります。言葉の裏側に豊かさを見出していただく必要があります。

写真左から:ペーター・アンダース、ヤン・ブードー、横山義志、小島章司
写真左から:ペーター・アンダース、ヤン・ブードー、横山義志、小島章司

 私とクロードは何度も一緒に仕事をしてきましたが、今回がクロードと私との最後の共同作業になります。今回が、皆さんがご覧になることのできる最後のクロード・レジの作品だからです。だから私にとってこの作品は少し特別です。
 私はクロード・レジと1996年にワークショップでお会いしました。ポルトガルの作家フェルナンド・ペソアの作品を使ったワークショップで、共同作業をするうち、私たちの関係は深まっていきました。非常に要求の高い仕事で、非常にラディカルな作業でした。彼の演出において、舞台の上で俳優は、このテクストの中で語られることすべてを感じなければいけない、と考えられています。なので私はクロード・レジが宮城さんのご招待によって何度も足を運んで、作品を上演してきた静岡で、この作品を上演できることをたいへん光栄に思っています。

 宮城:レジさんは現在94歳、まもなく95歳になられます。『夢と錯乱』が最後の作品になると、ご本人が宣言されています。翻意していただきたいと思って、この後もまた作品をつくってほしいと進上したんですけれども、レジさんは自分に対しての要求の厳しい方ですので、「今の自分の能力から考えて、自分でクロード・レジの作品として許せるものをこの先つくれるとは思えない」とご判断されました。
 とても僕は寂しいわけですけれど、この作品は初演を拝見した時に、著しい感激を覚えました。2016年6月にSPACがパリで公演していた時に「体調が悪いので観に行けない」というお手紙をじきじきにくださって、非常に心配していたんです。その年の秋に『夢と錯乱』の初演を控えていらっしゃったので。しかし、その心配を吹き飛ばすような、きわめて強度のある作品で、僕は圧倒されました。これ以上に饒舌な沈黙はないだろうと。
 さきほどブードーさんがおっしゃったように、テクストに書かれていること、そして書かれてはいないが存在すること、そのすべてを舞台上で俳優が感じなければいけない。この厳しい要求によって誕生する、世界一饒舌な沈黙。その圧力、密度。是非皆さんもこの空間を体験していただきたいと思っています。

 
●ウィンター・ゲスツ『シミュレイクラム/私の幻影』(ノルウェー、オスロ)
http://festival-shizuoka.jp/program/simulacrum/

石井:単身スペインに渡り、フラメンコをきわめた小島章司と、日本で女形の歌舞伎舞踊を習得したアルゼンチン出身のコンテンポラリー・ダンサー、ダニエル・プロイエット。世界的な舞踊家である二人の身体が紡ぎ出すライブ・ヒストリーは、観る者の記憶やアイデンティティーに深い問いを投げかけます。演出は6月にピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団で新作を手掛けるノルウェー出身の気鋭の演出家、アラン・ルシアン・オイエンです。
 登壇者の小島さんは2013年にソロ作品『生と死のあわいを生きて~フェデリコの魂に捧げる~』を本演劇祭で上演されました。『シミュレイクラム/私の幻影』はオスロで初演され、フランスのパリ、アメリカのテキサスでの公演を経て、今回の静岡での上演となります。

小島章司:世界中の都市から集まったプロデューサー、脚本家、プレイヤーとともに、7~8年前からスタートした、とてもスケールの大きい作品です。フランスのカーンという都市でワークショップをやり、アメリカの都市で1ヶ月間、舞台づくりをしました。昨年、アメリカで最初の公演が始まり、2回目が昨年11月のパリのシャイヨー国立劇場公演。そして宮城さんのお誘いでこの演劇祭にお招きいただきました。

小島章司
小島章司

 アラン・ルシアン・オイエンはとても面白い方で、舞踊と演劇に対しても凄く鋭い感覚を持った、頼もしい演出家です。ちょうどこの公演の頃はピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団のお招きを受けて、ドイツで作品をつくっているということでした。
 ダニエル・プロイエットはアルゼンチン出身の踊り手で、小さい頃からバレエを始め、若くして渡ったヨーロッパでアランと会い、いろいろな作品をつくるようになりました。ビデオで私のダンスを見て共演のオファーがあり、何年も時間を重ねて集まって台本が決まっていって、作品がつくられていきました。

 ダニエルはスペイン語を母国語として育ちました。今は英語もノルウェー語もできるみたいですけれど、私とはスペイン語で会話します。アランはノルウェー語と英語を話します。スタッフもアメリカ人だったり、イタリア人だったり。舞台監督はオーストラリアからから来た人で、10人ぐらいしかいないスタッフの国籍がみんな違います。

 私自身は根っこがフラメンコなので、アランの振付は全然違うんですけれども、すごくフラメンコ的な部分もあるし、演劇的な要素もある。演劇でもオペラでも舞踊でもないような最先端の、“シアター”そのもののような形式の作品が生まれました。今、ヨーロッパで主流のシェルカウイらがそういう舞台をつくっていると思います。70代を迎えて初めてそういう体験をさせていただきました。受けた教育も、育った場所も全く違う私たちが、どういう異分子反応を皆さんにお届けできるかを、どうぞ楽しみにしていただきたいと思います。

宮城:小島先生がおっしゃったように、どのジャンルに属するとも言えない、新しい領域を切り開くような作品です。小島先生自らセリフも語られるんですよね。ずっとダンスをされてきた小島先生が、言葉を発する。それが聴き手を最も求める言葉になっている。舞台芸術の根源がここで見られるというのが、この作品の特徴じゃないかと思っています。最先端が、原点を見せていくことになる。私たちが絶対忘れちゃいけない舞台芸術の一番最初の部分、「この人にこの言葉を聴かせるんだ」という部分が、まさに見られる作品かなと思います。

小島:どうもありがとうございます。セリフを語るなんてことは一度もなかった人生ですから、初めて体験です。アルゼンチンから出てきた若い踊り手の母国語はスペイン語で、私は日本語。彼が初めて私に演劇的な体験をさせてくださった。
 パリ公演では私がフランス語を二言三言(ふたことみこと)、話しました。アメリカではそれが英語になった。70代後半に差し掛かった自分に刺激を与え、生きるエネルギーを注入してくれた作品だと思います。この年になってとても興味深い作品に巡り会いました。私の年齢の半分ぐらいの若さの人たちと共同で創出した舞台空間の中に、再び入っていく時間を与えていただいて、とても嬉しく思っております。

 
●リムーザン国立演劇センター『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』(フランス、リモージュ)
http://festival-shizuoka.jp/program/richard-3/

永井:SPACとも関わりの深い演出家ジャン・ランベール=ヴィルドがシェイクスピアの『リチャード三世』を二人芝居に仕立てあげました。主人公リチャードを演出家自らが演じ、その他のあらゆる登場人物を女優ロール・ヴォルフが見事に演じ分けます。そして観客を独特な世界へと引き込んでいく舞台美術は、世界中で熱狂的なファンを持つアーティスト、ステファヌ・ブランケが手掛けています。
 宮城さんに伺います。ジャン・ランベール=ヴィルドは来年春、SPACで新作を手掛けることが決定していますが、ジャン・ランベール=ヴィルドの作品についてどういったところに注目されていますか?

宮城:ジャン・ランベール=ヴィルドは30代ですでにカーン国立演劇センターのディレクターになった、フランスの新世代の旗手の一人です。フランスにあるたくさんの国立演劇センターの中で、30代でディレクターになったのはごくわずかですが、彼はそのうちの最も若い一人でした。
 僕が彼の作品を最初に観たのはもっと前です。コリーヌの小劇場でパゾリーニの戯曲を上演していたんですけれど、世界には本当に変なことを考える奴がいるんだなと思いました(笑)。2人の俳優が舞台上で座って対話をするんですが、しゃべると口のあたりから奇妙な綿菓子のようなものが湧いて出て、人魂のように相手役のところに飛んでいく。おそらく映像なんですけど、テクノロジーというか魔術、奇術のよう。

『リチャード三世』舞台写真©Tristan Jeanne-Valès
『リチャード三世』舞台写真©Tristan Jeanne-Valès

 彼はレユニオン島の出身で、子供の頃から日本で言う妖怪物語的なものを、地元の人からさんざん聞かされて育ったそうです。つまり魔術のようなものを少年時代に非常に深く体験してきた。そしてとても知的なので、彼の作品は魔術と知性が合わさってできている。
 『リチャード三世』もマジカルな面白さがあり、目を楽しませてくれる側面と、言葉の力を感じさせてくれる側面の両方が合体している芝居です。少人数で大作をやるという今日の新しいトレンドの代表的な作品でもあり、今、たくさんの劇場でツアーをしています。

 
●イルビジェッリ・シアター・カンパニー『ジャック・チャールズ vs 王冠』(オーストラリア、メルボルン)
http://festival-shizuoka.jp/program/jack-charles-v-the-crown/

石井:100年に渡るオーストラリアの「児童隔離政策」で非人道的な扱いを受けていたオーストラリア先住民。その悲しみと抵抗の歴史を誰よりも知るジャック・チャールズが、自らの人生を語る涙と笑いのミュージック・ワンマンショー。アンクル・ジャックの魅力溢れる語りは、すべての人に生きる希望と喜びを与えてくれます。

宮城:非常に苦難に満ちた人生を生きるジャック・チャールズが、不良や犯罪者になってしまうというネガティブな選択を乗り越えて、また表現者としての魅力を開花させた。自伝を芝居にしている、とても励まされる内容です。海外でも公演しています。
 こんなに才能ある人が、このような辛い境遇に置かれていたという事実を知る側面と、彼の持っているエネルギーをダイレクトに浴びられる喜び。この二つの側面があると思います。例えば舞台上で陶芸も披露してくれますし、音楽もちりばめられている。
 ただ現在(2018年3月時点)、日本政府からジャック・チャールズへのビザ発給の許可が出ていません。薬物使用の犯罪歴がある方を日本に入れるのは簡単ではなく、今も鋭意努力しているところです。

 
●愛知県芸術劇場・SPAC共同企画『寿歌』(日本、愛知・静岡)
http://festival-shizuoka.jp/program/hogiuta/

永井:愛知県芸術劇場とSPACによる初めての共同企画『寿歌』です。愛知を拠点に活動している北村想の伝説的な戯曲を、宮城聰が演出いたします。2月半ばから静岡で稽古を始め、3月24日に愛知県芸術劇場の初演を迎えます。静岡では新緑の森に囲まれた野外劇場「有度」にて本演劇祭のオープニングを飾ります。

宮城:3月12日から愛知県芸術劇場に移って、リハーサル室にセットを組んで稽古しています。稽古をしながら、北村想さんは20代にしてこの預言の書のような内容をどうして書けたのかと、本当に不思議に思っています。たくさんのメタファー、または、一種の知恵の言葉と言うべきでしょうか。聖書の詩編の断片のような知恵の言葉がぎっしり詰まっていて、ギャグに見えることがどれも、人類が長いあいだ考え続けてきたことに繋がっています。
 一言で言えば、人間の救済とはどこにあるのかをめぐる話です。東洋と西洋の救済についての考え方のぶつかり合いが、クライマックスになっています。それを詩(ポエム)としか言いようがない美しい言葉で語っている。北村さんは当時、今日で言ううつ病を罹っていらっしゃった。そんな中で、外に出ることもできず、ボーッと布団の中に体を横たえていて、ふと上半身を起こして少し書いて、また寝る。また起きて続きを書いて…という書き方をされた。預言者が神の言葉を、手にもらい受ける時のような形で書かれた戯曲なのかなと思っています。

 
●SPAC『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』(日本、静岡)
http://festival-shizuoka.jp/program/mahabharata-malacharitam/

石井:世界が注目するSPACの代表作『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』のご紹介です。2014年にアヴィニョン演劇祭で大観衆を熱狂の渦に巻き込んだ本作、この秋フランスで開催されます日本博「ジャポニスム2018」での上演が決定しています。本作は3年ぶりとなる静岡駿府城公園での上演で、出演いたします私もとても楽しみです。

宮城:僕にとってはまさに天の恵みのようにもたらされた作品で、自分でつくっている時には、この作品のポテンシャルが全く分かっていませんでした。初日(2003年)が開いて拍手を貰って初めて、なんとかうまくいったのかなと思ってたんですが、後から考えると鎮魂の儀式がそのまま芝居になったような作品でした。
 僕の長い間の友人である文化人類学者の上田紀行氏が、スリランカで悪魔祓いを体験した。そのことを報告する小さな会に参加したんです。彼の撮ってきたビデオも含めて、スリランカの悪魔祓いがこの作品の根底にあります。結局のところ、悪魔は人間の孤独な心に入り込んでくる。一体どうすればそれを克服できるかについての演劇になっていると思っています。

 
●Vaca35『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』(メキシコ、メキシコ・シティ)
http://festival-shizuoka.jp/program/vaca35/

永井:最後にご紹介しますのは、メキシコシティからの作品『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』です。こちらは「ふじのくに⇄せかい演劇祭」としては初めて、静岡市街地の繁華街にある、かつてレストランだった空き店舗が会場となります。巨体の女と痩せぎすの女たちがジャン・ジュネ作『女中たち』をモチーフに、奥様と女中になりきって、ごっこ遊びをはじめます。

宮城:俳優は2人だけ、道具は大きな金だらいだけです。どこへでも行けて、どんな所でも上演できる。街の中に演劇祭がはみ出していくことの、ひとつのきっかけになっていけばと思って招聘した作品です。若い日本のアーティストたちがメキシコから来た2人の役者を見て、「アイディアさえあればたった2人でも世界に雄飛できるんだ」という、勇気をもらえる芝居じゃないかなと思います。

 
●「ストレンジシード」&演劇祭関連企画
http://www.strangeseed.info/

石井:今年も静岡市の「まちは劇場プロジェクト」と連携し、ふじのくに野外芸術フェスタ2018・静岡ストリートシアターフェスティバル「ストレンジシード」を開催いたします。会場は静岡駅から徒歩数分の駿府城公園をはじめとする、静岡市街地の複数の場所です。昨年に引き続き、ウォーリー木下氏がプログラムディレクターを務め、全国各地より気鋭のアーティストたちが静岡に集結します。

劇団 短距離男道ミサイル(2017年) ※写真提供:SPAC
劇団 短距離男道ミサイル(2017年) ※写真提供:SPAC

ウォーリー木下(ビデオ・メッセージ):静岡ストリートシアターフェス「ストレンジシード」は今年で3年目になります。「まちを劇場に」をコンセプトに、街の中の広場、公園、ビルの前のちょっとしたスペース、噴水、大きな階段の下など、いろんな建物や風景を使った演劇、ダンスが集まるパフォーマンス・フェスティバルです。
 今年は日本各地から11組のアーティストが登場します(この後、公募で5組が選ばれ計16組となった)。東京からは岸田國士戯曲賞を獲った柴幸男さんの劇団ままごと、北は仙台から劇団 短距離男道ミサイル、南は九州から不思議少年が来てくれます。
 お客さんはステージとステージの間を移動しながら観ていきます。朝から晩まで楽しめるフェスです。静岡の街を歩いていると突然、演劇が始まる。それを観て、また歩いていく。移動の最中も普通の風景がいつもとは違って見えてくるといいなと思っています。
 今年のゴールデンウィーク、5月3、4、5、6日の4日間、全部入場無料です。全国から集まってくださると嬉しいです。待ってまーす!

宮城:「ストレンジシード」は舞台が街に、ストリートに開いていく演目です。観客が半分ストリートで楽しみ、半分劇場で楽しむことが、僕らの理想だと考えています。

永井:駿府城公園では、この他にも宮城聰がゲストとともに「世界で勝負する舞台芸術とは?」をテーマに自由に語り合う広場トークも開催いたします。今回は国際交流基金理事長の安藤裕康さん、演出家、振付家、舞踊家でりゅーとぴあ舞踊部門芸術監督、Noism芸術監督の金森穣さんをゲストにお迎えし、司会はアナウンサーの中井美穂さんが務めます。こちらも是非ご参加ください。

 
●質疑応答

質問:宮城さんがおっしゃったコンセプトである「聴き手に届くような何か」について。届けたい言葉あるいは届けたい想いとは何なのかを、皆さんから一言ずつお伺いしたいです。

小島章司:今回に関しては、人間同士の言葉や動作でお互いに感じる、結ばれる、繋ぎ合う、そういうようなコンセプトではないかなと思います。演出家のアランは、人間、言葉を超越して何かが紡がれていく…というようなことを僕にも伝えたかったのではないかと思います。

ヤン・ブードー:とても難しい質問ですね。ある時、自分にはこれは無理だと思ってしまうような状況に出合うことがあります。もう無理だと思う時がある。(そういう場合は)時として自分が死んでしまう必要がある。自分が忘れてしまったもの、あるいは自分がまだ知らないもの、そういったものに出会うためには、一旦自分が死ぬ必要がある。つまり何か新しいものに辿り着くためには、一旦私自身が死んでしまう必要があるということです。

ペーター・アンダース:一人の観客という立場からお答えいたします。『民衆の敵』の中心的な問題は「一体、真実とは何なのか?」という問いです。今、ブードーさんがおっしゃったようなメタファーとしての真実ではなく、非常に現実的な、政治的な真実です。ある意味ではユーモアを持った、また自分自身に対するアイロニーを持ったオスターマイアー氏の演出によって、いわゆる緑の党、どちらかというと左翼的な考えをもった社会の形が表れてくる作品だと申し上げておきます。

宮城:人間がこの世界の分からなさになかなか耐えることができないのは、今の時代に限ったことではありません。今、ポピュリズム政党なるものが各地で非常に力を増しています。分かりやすく説明してくれるものに飛びつき、分かりにくいとイライラしてしまう。「敵は誰だ?」(と分かりやすい敵を探す)みたいなことになってしまう。昨日、今日に始まったことではないけれど、最近その傾向が強まっている。
 そういう中で演劇は、分からないことや、ああでもありこうでもある、どっちかとは言い切れない状態、つまり宙ぶらりんであることに耐える力を、耐える勇気を与えてくれる。演劇に限らず芸術全部がそうかもしれません。
 一つの状況の中で、ああでもありこうでもあるということは、どの人間も、自分が何を選択しても、なんらかの意味で無念を抱えながら生きているということですよね。「無念を抱えることがもう嫌だ」と思うと、ポピュリズムに行ってしまう(笑)。だから無念を抱えながら、耐えながら生きるしかない。
 時々演劇は死者を呼び出して、「あなたは無念を抱えながら生きていましたね。後輩であり子孫である私たちは今、あなたが抱えてあの世まで持っていってしまった無念を呼び出して、お祭りしますよ。それをみんなで寿ぎますよ」という儀式をする。それによって、無念を抱えながら生き、無念を抱えながら死ぬという人間の業を、「まあなんとか我慢できるかな」と思えてくる…というのが、僕の思う演劇の力です。『寿歌』も『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』もまさにそういう作品だと思っています。

質問:宮城さんに伺います。このフェスティバルには非常に刺激的な作品がたくさん来日します。演劇祭を継続されてきて、日本の演劇にどんな刺激を与えてこられたとお考えでしょうか?

宮城:僕自身がSPACに来てから演劇祭は12回目になります。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」をやってまいりまして、はたしてどういう影響を日本の演劇界、あるいは観客の皆さんに与えることができたのか。もちろん十分な影響を与えることはできてないんじゃないかという反省もあります。
 東京だけで完結してしまうと、演劇は経済の原理に回収されかねない。東京にはたくさんの資本主義の歯車が集まっているので、いわゆるサブカルチャー的な小さな文化的活動は、どのようなものも資本主義の歯車の一部品として機能するように巻き込まれていく側面がある。そこから外れたものをやり続けるのは、なかなか簡単ではない。
 今の日本の状況において、少し東京から離れた場所で、「こういう芝居もあるよ、こういう風にしぶとくがんばってる人もいるよ」と発信し続けてきたことは、なにがしかの意味で多様性に寄与しているのではないか。演劇の多様性、あるいは観客にとっての表現の多様性の担保になっているのではないかなと考えております。

 

SPAC「ふじのくに⇄せかい演劇祭2018」東京プレス発表会
日時:2018年3月15日(木)
会場:ゲーテ・インスティトゥート(東京ドイツ文化センター)
登壇者:
 ヤン・ブードー(俳優) ※通訳:横山義志(SPAC文芸部)
 小島章司(舞踊家)
 ペーター・アンダース(ゲーテ・インスティトゥート東京 所長) ※通訳:小高慶子
 宮城聰(SPAC‐静岡県舞台芸術センター芸術総監督)
演劇祭特設サイト:http://www.festival-shizuoka.jp
※記事中の人名は敬称略

~・~・~・~・~・~・~・~
★“しのぶの演劇レビュー”TOPページはこちらです。
 便利な無料メルマガ↓も発行しております♪

メルマガ登録・解除 ID: 0000134861
今、面白い演劇はコレ!年200本観劇人のお薦め舞台

   

バックナンバー powered by まぐまぐトップページへ