【書籍】津島佑子著「寵児」(講談社文芸文庫)

 石原燃著「赤い砂を蹴る」の感想を読んでくださった知人(日本文学者で新国立劇場オペラ『紫苑物語』に協力していた方)から、津島佑子著「寵児」を推薦されました。今から約42年前の1978年に発表された第17回女流文学賞受賞作です(“女流”という言葉に時代を感じますね)。哲学者の柄谷行人氏が彼女を非常に高く評価していたことも伺いました。
 ⇒朝日新聞「虐げられたものへ愛と共感 津島佑子さんを悼む 哲学者・柄谷行人」(2016年2月)

 そういえば「赤い砂を蹴る」が芥川賞候補となり、著者を“太宰治の孫”と紹介する記事が大変多かった時期に、「石原さんは“太宰治の孫”というより“津島佑子の娘”だよね」と言った人もいたのです。2人に背中を押されて早速「寵児」を読んだところ、超、超、超~~~面白くて、夢中になって読み終えました。

 小説って…いいですね…(何を今更)。私はこのコロナ禍で観劇に行けないので(涙)、味気ない暮らしに彩りと奥行きを与えくれる芸術に積極的に触れようとしています(家の中で)。自分が好きな世界にばかり耽溺して不勉強な私には、信頼する人の助言が本当にありがたいです。

 私は石原さんと同世代で、「寵児」の主人公・高子(36歳)は私の母とほぼ同世代に当たります。そのためか、70年代の東京に暮らす高子の生活は比較的想像しやすかったです(思い込みの勘違いも多々あると思いますが)。

 ピアノ教室の講師でシングルマザーの高子は自堕落で、不潔で、異性にだらしなく、12歳の娘・夏野子との母娘関係はうまくいっていません。そんな主人公を愛せず、共感もできず、序盤は入りづらかったのですが、彼女が3人の男性との恋愛について語り出した途端、ずぶずぶと引き込まれました。特に性交についての深い考察には、ハッと驚かされ、唸り、頷くことの連続です。「動物の生殖行為」「快楽を求め合う営為」「心を癒し生気を与えるスキンシップ」「男女関係に社会的変化をもたらす契機」「他者依存を正当化する言い訳」「駆け引きの道具・武器」などの側面から分析的に見つめることができました。「セックス」という外来語が使われないおかげもあると思います。

 この小説のテーマは妊娠です(文庫本の筆者解説より)。高子が想像する水(川、海も含む)と宇宙の描写は、命や胎内のイメージと直結し、一人の人間の心の奥底と限りなく膨張する闇(宇宙)とを結びつけます。このように遠くと近くを鋭く見渡す視座から、男女の性交によって生じる命が女性の体に(だけ)宿るという不均衡、不公平について、とことん突き詰めていくのです。決して手加減しない筆致は、何事も取りこぼさないという執念を感じるほど。他人からすると他愛無くてみっともない、しかし高子にとっては命と尊厳にかかわる出来事について、逃げずに正面から書き尽くしていることにも感激しました。

 高子には早世した障がい者の兄があり、「童話のような、自由で静かな世界」(201ページ、後ろから2行目)にいた彼を今も慕い続けています。彼女が兄の世界を欲しても、理性や世間体がそれを許しません。序盤で高子に違和感を持った私自身もまた「分別、という無表情ではあるが、居心地の良い場所」(123ページ、6行目)の住人だったのだと思います。私は「高子」を「たかこ」と読んでいたのですが、兄のせりふに「コウコ!」(200ページ、10行目)とあり、初めて主人公の名前を正確に認識しました。本当の高子を知っているのは兄だけなのかもしれません。題名の「寵児」とは高子のおなかの子のことであり、兄に特別に愛された高子自身のことでもあるのではないかと思いました。

 読書はひたすら耳を澄ました後に、自分事として繰り返し反芻する時間を取りやすいですね(これまた何を今更ですが)。幸福な体験になりました。心から感謝します。これから読まれる方にはあらすじや解説を読まずに体験することをお勧めします。とはいえ手に汗握る衝撃の連続は、流れを把握した後でも損なわれないだろうと思います。

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