映画「ゲッベルスと私」06/16-08/03岩波ホール

 「マルクス・エンゲルス」に続き岩波ホールで「ゲッベルスと私」を拝見しました。見て良かったです。

 1942年から終戦までの3年間、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だった女性ブルンヒルデ・ポムゼルさん(103歳)のインタビューと、アーカイブ映像で構成されたドキュメンタリー映画です。

≪作品紹介≫ トレイラーの解説より
終戦から69年の沈黙を破り、 ナチス宣伝大臣ゲッベルスの秘書ポムゼル(103歳)が独白する。 彼女の証言は、20世紀最大の戦争と全体主義の下で抑圧された人々の人生を浮き彫りにする。それは、ハンナ・アーレントによる、“悪の凡庸さ”をふたたび想起させる。
≪ここまで≫

 ポムゼルさんがゲッベルスの事務所で働き始めた頃は、待遇も雰囲気もよく、同僚もいい人ばかりで、職場がとても好きだったそうです。でもそれはほんのつかの間で、すぐに空気が変わっていったとのこと。おかしいとはっきり気づいた時には、もう手遅れなのだろうなと思いました。

 「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)はなかった」など言い出す恐るべき集団もあるなか、このような記録映像を、当事者の証言と共に残していくことには大きな意義があると思います。

 「アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館(⇒解説)」に保管されている映像が使われており、アメリカという国の歴史に対する姿勢に感銘を受けました。ただ、この博物館にはユダヤ資本が投入されているのかな…と想像すると、また複雑な気持ちにもなります。

 ここからネタバレします。セリフなどは正確ではありません。

 ポムゼルさんの発言は信じるに足るものでした。じっくり、たっぷり、時間をかけたインタビューだったのだろうと想像します。

 ポムゼル:私は愚かだった。今なら違う風に考えらえる。

 ポムゼル:今の若い人がよく言う。自分なら逃げられた、ユダヤ人を助けるために何かできたと。それは無理。あの体制からは誰も逃げられない。強制収容所に入れられていたのはユダヤ人だけど、私たちも透明のガラスのドームのような収容所に入れられていた。

 ポムゼル:私個人に罪はない。でもあの政党に政治を握らせてしまったのはドイツ人全体の罪。その罪は私にもある。

 ポムゼル:あの(白バラ抵抗運動の)若者たち、あんな(政府に反対する)ビラなんか、撒かなければよかったのに。あんな時代にあんなことをするなんて愚かだ。撒かなければ死なずに済んだ。きっと今も生きられていたと思う。

 ポムゼル:(ゲッベルスの事務所で働くようになって、給与が1.3倍ぐらいになったことを受け)もうドイツには物資がなかったが、仕立て屋から提案されて、服を仕立てた。高額だったけど。私から要求したことはない。オファーされたのを受けただけだ。

 ポムゼル:私は上司に従順であることを誇りに思っていた。だから生き延びられた。

 ポムゼル:強制収容所には政府に異を唱える人や犯罪者が入れられるのだと思っていた。
 ポムゼル:誰にも信じてもらえないと思うけど、強制収容所で何が起こっていたかは知らなかった。まさか遺体が焼却されていたなんて。

 ポムゼル:1945年4月、ヒットラーが自殺し、ゲッベルスも自殺した。彼の妻も子供たちも死んだ。同僚と地下の防空壕に避難した。大きな白旗を作った。上司がそれを持って「ソ連軍のところに行くから、ここで待っていろ」と言ったが、嘘だった。裏切られた。気づいたらソ連軍に包囲されていた。その後5年間、ソ連軍に拘束された。私に対するソ連軍の扱いは不当だったと思う。

 ポムゼル:神はいないが、悪魔はいる。そして正義はない。

 ※ポムゼルさんの友人の貧しいユダヤ人女性は、1943年にアウシュビッツ・ビルケナウに収容され、1945年に殺されていた。彼女がそれを知ったのはソ連軍の拘束を解かれた後だった。

出演:ブルンヒルデ・ポムゼル
監督:クリスティアン・クレーネス フロリアン・ヴァイゲンザマー オーラフ S. ミュラー ローラント・シュロットホー
ファーム & メディアプロダクション
一般:1800円 シルバー:1500円
https://www.sunny-film.com/a-german-life

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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