シス・カンパニー『ミネオラ・ツインズ』01/07-01/31スパイラルホール

 藤田俊太郎さんが米国の劇作家ポーラ・ヴォーゲル作『ミネオラ・ツインズ~六場、四つの夢、(最低)六つのウィッグからなるコメディ~』を演出されました。翻訳は徐賀世子さんです。上演時間は約1時間35分。規制退場あり。

 ヴォーゲル戯曲は小川絵梨子さんが翻訳・演出された『運転免許 私の場合』がとても面白かったです。ロビーで戯曲が販売中。当日パンフレットは無料配布されていました。ヴォーゲル氏によると『運転免許 私の場合』の姉妹編、いや双子編として(1995年に)『ミネオラ・ツインズ』を執筆されたとのこと。


 
 家族3人で観劇し、感想はそれぞれ異なりました。私はすごく面白かったです。1996年米国初演の戯曲でフェミニズムど真ん中。私は本当に何も見えてなかった、わかってなかったんだと申し訳ない気持ちになりました。今、日本初演してくださったことに感謝します。
 ベトナム戦争反対運動のころを思い出したと母(選曲の影響大)。「あの時は、皆が一体になれていた気がする」と。この見方は私にはできないので、一緒に観劇できて本当に良かったです。やっぱり芸術鑑賞は、他人と感想を語り合うことで学びも楽しみも激増しますね。

≪あらすじ≫ https://www.siscompany.com/produce/lineup/mineola/
舞台は、ニューヨーク郊外の小さな町ミネオラ。
一卵性双生児マーナとマイラ姉妹(大原櫻子)は、全く同じ容貌なのに性格は全く似ても似つかず、お互いを遠ざけながら生きてきた。

始まりは1950年代。
核戦争の恐怖が日常生活にも蔓延るアイゼンハワー政権下。保守的な女子高生マーナは、結婚こそが輝かしいゴールだと、すでにジムと婚約中。一方のマイラといえば、世間の常識なんかクソくらえの反逆児。男の子たちと“発展的”交際を広げている。そんな評判が耳に入る度、お堅いマーナのストレスは爆発寸前。ある時、素行の悪いマイラを諭そうと、マーナに頼まれたジムがマイラの元へと向かったのだが…。

時代は飛んで1969年。
ベトナム戦争の泥沼にあえぐニクソン政権下の世の中。“良い子”マーナと10代の息子ケニーが銀行の列に並んでいる。ラジオからは、過激な反戦運動に身を投じたマイラが、ついには指名手配の逃亡犯になったニュースが流れてきた。ところが、不仲だったはずのマーナは、その銀行でマイラのための逃走資金をおろし、息子ケニーをマイラの隠れ家へと向かわせようとしていた…。
一体、マーナの真意はどこに?

そして場面は、20年一気に飛んで1989年。
パパ・ブッシュ政権下の世の中へ。ラジオからは番組DJの声が聞こえる…。
「言い返せ!やり返せ!咬みつき返せ!」
その声の持ち主は?

ジェンダー、セクシュアリティ、人種、格差…
時代と価値観の変遷の中で、真逆の道を歩んできた双子姉妹が見る夢は…?
≪ここまで≫

 性格も政治姿勢も正反対の双子の姉妹を大原櫻子さんが演じます。八嶋智人さん、小泉今日子さんもある意味で“正反対”と言える二役です。ステージングは小野寺修二さんで、カンパニーデラシネラの公演でおなじみの王下貴司さん、斉藤悠さんが大活躍(暗躍?)。

 南側と北側の対面式の客席で演技スペースは細長いです。スパイラルホールで平戸間席がないのはありがたいですね(前後の段差がない座席が存在しない)。舞台を南北に分ける方向に映像用の細長いパネルが吊られており、各場面の西暦年や歴代アメリカ大統領の顔と名前などが映写されます。照明、音響と組み合わせて情景描写をする映像もあり、親切でした。

 私は2019年にようやくハラスメントは重大な問題であると知り、コロナ禍に入ってフェミニズム関連の本を読んだりし始めました。この戯曲でも描かれる女性の中絶については、遠見才希子さんへのインタビュー記事で目から鱗が落ちました。女性の体は女性自身のものだと、ようやく気づいたのです(⇒関連まとめ)。妊娠・出産は命がけの行為です。決定権は女性が持つのが自然であり、それを侵害してはいけないと強く思います。

 70代の母は反対側の客席に向けたせりふが聞こえづらかったり、演じられている役が誰なのか(マーナかマイラか、ケリーかベンか等)区別がつかなかったりして、意味がわからないところもあったようです。心配な方は戯曲を読んでから観るのも手だと思います。私は「意味が分からなくてもいい」「劇場で何もかもを初めて体験したい、できるだけ」と思うタイプなので、予習はしない派です(全くお薦めしない)。

 ここからネタバレします。間違いや勘違いは多いにあると思います。

 あらすじにあるように、1950年代(姉妹は高校生)、1969年(姉妹は30代でマーナに息子あり)、1989年(姉妹は50代でマイラにも息子あり)のアメリカが舞台です。マーナまたはマイラが見る夢の場面も挿入され、誰の夢なのかを字幕で示してくれます。双子は民主党と共和党の二大政党制もあらわしているんでしょうね。

 高校生(17歳)のマーナには「女性は子育てと家事に専念し、仕事はせず家に居るべき」という考えの22歳の恋人ジム(小泉)がいます。清純なマーナはジムとの初体験を拒みますが、お盛んなマイラは高校のめぼしい男子全員とのセックスは済ませているタイプ。姉妹は非常に仲が悪く、2人の部屋の真ん中に見えない境界線を引いて、お互いに乗り越えないルールをつくるほどです。マーナはマイラの淫らな振舞いが恥ずかしいので、ジムにマイラを説得(説教)するよう頼んだところ、ジム(の初体験)をマイラに奪われてしまいます。セックスの後にジムがマイラをあばずれ扱いし、マイラが激怒。なぜか男性は自分のことを棚に上げ、性体験済みまたは経験が多い女性を汚れている(汚してもいい)ように扱う傾向がありますよね。マイラがちゃんと怒るのが素晴らしい。

 1969年。反戦運動に身を投じているマイラが、仲間と銀行強盗をして逃亡。けが人も出てしまいました。マーナは国債を売ってつくったお金を息子ケニー(八嶋)に託し、マイラの隠れ家を訪ねさせます。自分に火の粉がかかるぐらいなら、マイラを外国にやった方がいい(臭い物に蓋)という判断でしょうね。家族に受刑者がいるのも嫌なのでしょう。ケニーはミネオラという田舎にも母マーナにも嫌気がさしており、マイラと一緒にトロントに逃げると言い出しますが、結局警察につかまってマイラは5年間収監。後の場面で彼女は「刑務所は嫌じゃなかった」と述懐していました(サラとの恋につながる?)。

 精神を病んだらしきマーナが、白衣の男性たちに拘束衣を着せられる場面がありました。30代の場面では突然、意識を失って倒れたりも。どうやら何らかの治療(手術)を受けたのが原因のようです(親とマイラが許可した)。ロボトミー手術を想起しました。極端に保守的な考えを持つようになったマーナは、息子ケリーを軍隊に入れます。ケリーは将来、妻子を持ちますが、マーナとは疎遠になるようです。

 1989年、50代のマーナはラジオのパーソナリティーとして中絶反対を声高に主張しています。同性愛にも不寛容で、“古き良きアメリカ”を守るために「言い返せ!やり返せ!咬みつき返せ!」と叫んではばかりません。マーナの本に感動したマイラの息子ベンが彼女を訪ねてきて、出所したマイラと同性パートナーのサラ(小泉)とともに仲良く暮らしていることがわかります。
 10代の息子2人ともが母親よりも叔母を慕い、叔母に「ママ(の過去)に何があったの?」と聞くのが面白いですね。マーナとマイラは思想が正反対でも、行動は似ているし(過激な暴力に至る)、息子との関係も対になっています。一人二役であることも含め、表裏一体の存在なんですね。

 ベンからマイラがシカゴにいると聞いたマーナは、マイラの職場である中絶手術をおこなう施設を爆破しようとします(マイラを殺す気はなかった)。マイラに変装して施設に近づこうとすると、サラとばったり。サラはマイラだと思ってマーナに話しかけます。ここは大原さんがマーナとマイラの早替えを繰り返すのが見どころですね。おそらく胸の大きさが異なる服を何度も着替えたのだと思いますが(マーナは巨乳という設定)、私の目からはその差があまりわからず…区別がつくまで時間がかかりました。マーナが仕掛けた時限爆弾が爆発した時、マイラは「ドアの方に行って」という声が聞こえて脱出成功。

 若いころの夢を見てうなされるマイラを、サラが優しく抱いて、物語は終わります。夢の中でマイラは、マーナとの距離を縮めたいと言っていました。マーナもマイラも、そこにいるはずのない姉妹の片割れの声をよく耳にします。それは録音の声で劇場に響き、まるで天のお告げのよう。双子で声が同じだから、自分の声のようでもあるんですね。双子は互いを敵視しながらも、互いを守っているのだと解釈できました。

 聴きなれた歌がよく流れました。場面の年代に合わせたヒット曲はすべて女性ヴォーカリストのもので、オープニングとエンディングは“I Will Survive”。2つのベッドを合体させた大きなベッドでマイラとサラがむつみ合うと、黒子(王下、斉藤)が再びベッドを2つに分けて、それぞれを舞台の上下(かみしも)へと切り離すようにずらしていき、2人は離れ離れになります。開幕、閉幕時の象徴的な演出です。一心同体の2人が引き裂かれるように見えて、1人のなかに2つの相反する性質があるという想像もできました。

・グロリア・ゲイナーGloria Gaynor/恋のサバイバルI Will Survive(1979年)

 ラストシーンは「私は生き延びる」という歌をバックに、大原さんがたった1人で舞台中央に佇みます(ベッドが引き裂かれた後)。パネルの西暦年は1950年代から徐々に進んでいき2022年でストップ。世間に合わせて規範に従うマーナと自由を求めて障壁を越えるマイラは、大原さんであり、私(観客)自身でもあるのだと思います。大原さんが堂々と1人で立つことで、女性の歴史が祝福されたように感じ、涙が込み上げました。マーナもマイラも信念を持って闘ってきた女性です。

 大原櫻子さんの腹に落ちた演技に説得力があり、おかげで戯曲の核となる主張を受け取れた気がします。私はこれまでに3度しか大原さんの舞台を拝見していないと思いますが、強い芯を感じられて好きですね。
 小泉今日子さんはジム役をまだつかみきれていない印象でした(2ステージ目だったせいかも)。マイラの同性パートナー・サラ役の自然さが魅力的でした。キスを迫ったりセックスの話をする時の無邪気で優しい、のびのびとした態度に、私も励まされました。
 八嶋智人さんが踊る場面に見入りました。機敏で力強くて個性も出ててかっこいい!サービス精神に満ち溢れていてチャーミングな方ですね。
 アンサンブルの男性二人(王下貴司さんと斉藤悠さん)は“女性を見下し圧力をかけてきた男性”の表象なのかもしれませんね。息を合わせた冷静さが他の3人の俳優と好対照になっています。個人的には、5人全員でもっと柔らかく積極的に、気持ちからかかわり合って欲しかった気もします。
 大きなベッドを縦にしたり横にしたりすることで、何もない細長い舞台にダイナミックな変化を生みます。ちょっと危なそうで、個人的には気が散ったかな…。それが狙いだろうとも思いますが。道具を動かす回数が多すぎる気もしました。

 衣装が可愛い!!!欲しい!(似合うはずないが)着たい!特にラジオ放送の時にマーナが着ていた台形型の巻きスカートに目が釘付け。上半身はぴったりフィットする濃い紫色のカットソーだったかしら。腰がキュっとくびれて見えてかっこよかった~。灰色地に紫の線が効いている「パワースーツ」もよかった。全身同色ピンクのパンツルックに大きなベルトというサラの衣装もかっこいい。ウィッグは白かピンクだったかしら。大原さんの最後のスリップ(ワンピースの下着)はいわゆる“か弱い女性像”であると同時に、肌をむき出しにした人間の、逃げ隠れしない臨戦態勢の姿にも見えました。

・ジョーン・バエズ Joan Baez/勝利を我らに We Shall Overcome(1963年)

 母が懐かしいと言ったベトナム戦争時の反戦歌です。いつか、乗り越えられる。いつの日にか、勝利を手にするのだ。そう信じて、歯を食いしばり悔し涙を流しながら、諦めずに行動し続けること。そんな理想を夢見つづけていいのだと思えました。
 マーナはマイラを怖いと言い、マイラは息子ベンを怖いと言います。他者は常に自分を不安にさせる、怖い存在です。でも、自分のなかにこそ他者がいるし、目の前の理解不可能な他者こそ自分なのだと、恐怖を感じるたびに思い出したいと思います。

【出演】
マーナ/マイラ:大原櫻子
マーナの息子ケニー/マイラの息子ベン:八嶋智人
マーナの恋人ジム(男性)/マイラの恋人サラ(女性):小泉今日子
アンサンブル(警察など):王下貴司、斉藤悠
作:ポーラ・ヴォーゲル(Paula Vogel)
翻訳:徐 賀世子
演出:藤田俊太郎
美術:種田陽平
照明:日下靖順
衣装デザイン:伊藤佐智子
音響:加藤温
映像:横山翼
ヘアメイク:宮内宏明
ステージング:小野寺修二
舞台監督:瀬﨑将孝
プロデューサー:北村明子
企画・製作:シス・カンパニー
【発売日】2021/11/06
料金(全席指定・税込)全席指定 ¥10,000(税込)
※未就学児童入場不可
https://www.siscompany.com/produce/lineup/mineola/
https://stage.corich.jp/stage/116514

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