地人会新社『これはあなたのもの 1943-ウクライナ』06/15-25新国立劇場小劇場

 詩人、劇作家、そして1981年にノーベル化学賞を受賞した科学者であるロアルド・ホフマンさんの実体験を元にした戯曲を、鵜山仁さんが演出されます。主演は八千草薫さんです。上演時間は約2時間20分(休憩15分を含む)。

これはあなたのもの―1943‐ウクライナ
ロアルド ホフマン
アートデイズ
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 ≪あらすじ≫ 公式サイトより
戦後アメリカに渡り、内科医として成功をおさめたエミール(吉田栄作)。妻・タマール(保坂知寿)と二人の子供(万里紗・田中菜生)、そして母・フリーダ(八千草薫)と暮らしている。フリーダはウクライナでの記憶を消すかのごとく、当時の事を語らない。その上、かくまってくれていたウクライナ人・オレスコ氏についても時折複雑な思いを口にするだけだ。 学校でホロコーストの事が課題となっている17歳になる孫娘の質問攻めに、少しずつ話はじめるフリーダ。そんなある日、オレスコ氏の娘アーラ(かとうかず子)が尋ねてくる…。
 ≪あらすじ≫ 

 ホフマンさんは1937年ポーランド生まれのユダヤ人で、1949年に実母とアメリカに移住されました。実際はお母様とは同居されておらず、アメリカに訪ねてきたのも匿ってくれたウクライナ人の実娘ではなく、義理の娘だったそうです。そういうこともあり、役柄の名前は実在の人物とは違うものになっているそうです(戯曲本の作者本人による解説より)。

 86歳で戦争経験もある八千草薫さんが、第一次、第二次世界大戦の戦火を生き延びたユダヤ人女性を演じます。膨大なセリフを優しく、柔らかく語る姿を拝見できてよかったです。

 ここからネタバレします。

・詳しい目のあらすじ

 1992年の米国フィラデルフィア。81歳のユダヤ人女性フリーダ(八千草薫)の息子エミール(55歳、吉田栄作)は内科医で、心理学者のタマール(49歳、保坂知寿)と結婚。息子夫婦には姉のヘザー(17歳、万里紗)と弟ダニー(13歳、田中菜生)という二人の子供がおり、フリーダは彼らと同居している。

 フリーダはポーランド(現在のウクライナ)のストロディという小さな町に住んでいたが、第二次世界大戦中の1943年~1944年の15か月間は、ナチスの迫害から逃れるため、フリーヴニウという村にある、ウクライナ人の学校教師オレスコ(登場しない)の家の屋根裏に匿われていた。兄のアーニー(アーニー伯父さん・登場しない)と息子のエミール(5~6歳、田中菜生)も一緒だったが、夫ダニエル(登場しない)は労働収容所にいた。ダニエルは収容所に必要とされるエンジニアで、収容所から町に出ることもできたのだ。しかしダニエルはナチスに虐殺されてしまう。アーニーの幼い娘サビーナはまだ2歳で泣き止まないため(屋根裏で守ることができず)、ポーランド人に預けたが、戦後、そのポーランド人とともにドイツ兵に殺されていたことがわかる。フリーダの妹もウクライナ人の通報で警察に引き渡され死んでしまった。

 ストロディはウクライナ人、ユダヤ人、ポーランド人が暮らす町で、ユダヤ人は当時から差別されていた。1939年にロシアとドイツがポーランドに侵攻し、ストロディにロシア人がやって来た。1941年にドイツ人が来た時、ウクライナ人がユダヤ人を狩り集めて城に収容。そこでナチスの親衛隊が3000人ものユダヤ人を殺害した。だからフリーダはナチスよりもウクライナ人を憎んでいる。屋根裏で匿ってくれたオレスコはウクライナ人だし、第一次世界大戦の時、4歳のフリーダとその兄2人(6歳と9歳)をウィーンへと連れ出してくれた乳母のリディアもウクライナ人だった。リディアは兵士に体を売って食料を獲得したりもしてくれたのだ。それでもウクライナ人への憎悪を隠そうとしない母を、エミールは理解できない。

 フリーダは匿ってもらうことの対価としてオレスコに金貨や宝石を渡していた。戦争が終わってからも小包を贈り続けていたし、今はエミールとオレスコの娘アーラ(かとうかず子)が手紙を交換している。アーラがフリーダを訪ねてフィラデルフィアに来ることになった。両親の遺品から見つかった金の指輪が母の指のサイズが合わないので、フリーダのものだろうと思い当たったからだ。
 一度は指輪を受け取ったフリーダだが「これはあなたのものよ」と言ってアーラに返す。フリーダはウクライナ人であるオレスコ家との関係はあくまでも契約上のものだと主張していた。だが(夢の中で?)アーラが、「自分の叔父もロシアの秘密警察に殺されたが、父(オレスコ氏)はあなた方を匿うために黙っていたのだ(叔父の殺害を伝えたら、フリーダたちは自分を信じないだろうから)」と言うと、フリーダの怒りはやや収まったのか「あなたのお父さんはいい人だった」と返す。

 これまで全く語られなかった戦争の記憶を家族で共有したことで、蓋をしていた怒り、悲しみが吹き出してしまう。特に母を気遣っていたエミール自身が、自分の怒りを抑えられなくなった。タマールは心理学者らしく夫に話し掛け、子供たちも議論し、自分の頭で考え始める。

 タマール:忘れることは必要な通過点のひとつだと思っているの。あなたは今、あのときのことをちゃんと思い出すことで、隠れ家から自分を出すことができる。過去を追悼するために。
 タマール:アーラはフリーダの指輪以上のものをあなたに持ってきたのよ。(略)思い出。記憶の数々。(略)アーラが来て、あなたは話した。そしてお母さんも、やっとヘザーの質問に答えた。

 エミール:何が起こったのかを考えるのはとても辛くて。もう一回僕のお父さんのこと、あの時代のことを考えるのは。
 アーラ:辛いのは知っているわ。アーラは……私たちの間に、新しい絆を作っているの。優しい、なんの見返りも求めない愛で、自分の持っているもののために、過去に手を伸ばしているの。

 ヘザー:アーラはただ、私たちに共通の何かに向けて手を伸ばしたんだと思う。

 火炎のなか、問いかけは続く。

・感想

 この上演のおかげで第二次世界大戦中のポーランド、ウクライナ、ソ連(ロシア)、ドイツ、そしてユダヤ人について知り、考えることが出来ました。戯曲掲載の書籍(1300円)には筆者、翻訳者らによる解説などが大変充実していて、読みふけってしまいました。

 戦争のせいで国境が何度も変わり、フリーダは同じ土地に住んでいながら6つの国籍を経験します。国家と個人の複雑な歴史を会話劇で伝えるだけでも難易度が高いうえに、時空を超えたり、幻想的な場面が挿入されたりする戯曲です。例えば一幕、二幕の両方とも、神と天使たちの会議の場面で始まります。白いスモッグのような衣装を被り、それぞれの手に持った人形を操る人形劇形式でした。戯曲の指定もあってか、劇中の登場人物を演じる俳優が天上人たちも演じます。また、1992年のアメリカの家庭劇に、1943年のウクライナの屋根裏部屋での回想場面が度々挿入されます。心中の秘めた思いを詩で伝えるドラマティックな独白も多いです。

 舞台は1階と2階に演技スペースがあり、1階はアメリカ、2階がウクライナの屋根裏部屋です。2階は舞台美術の壁で覆われていますが、壁がスライドして小さな隙間が開き、フリーダとエミールが母子で静かに閉じこもっていた空間を覗き見できます。その部屋には人影などの映像が映され、クライマックスには火花などが壁全面に大きく描き出されもしました。

 『これはあなたのもの』という題名が素晴らしいと思います。フリーダが指輪をアーラに返した時に言ったセリフですが、あの時にフリーダとオレスコ夫妻との長い歴史がアーラへと受け継がれ、その場にいたエミールにも伝染しました。アーラとの交流をきっかけに、タマールとその子供たちにも手渡され、そして、演劇として上演されることで私たち観客のものにもなったのです。

 ウクライナ人が3000人ものユダヤ人を集め、ドイツ人に殺させて、その遺体を城の庭に埋めたという事実があったのですが、戦後のウクライナは45年間も共産主義国であるソ連の支配下にあり、「ユダヤ人たちを城に連行した虐殺事件は無かった」ことにされているそうです(戯曲より)。「(戦後の)ウクライナでは戦争中に何が起こったのかを話すのは危ないことだった」というセリフもあります。個人が生き延びるためには自分を苦しめる記憶を忘れることも必要ですが、「国家は忘れてはいけない」んですよね。
 ロアルド・ホフマン:個々人の善行と集団の罪。それらを忘れずにいること、認めること、そうした記憶と認識のバランスを取る事が『これはあなたのもの』のテーマです(書籍5ページ)。

 ※1939年にポーランドに侵攻してきたロシア人はウクライナ人をウクライナ独立の扇動者と見なし、究めて残酷に抑圧していた。ソビエト内務人民委員部は1941年のナチス到着の1週間前に700人のウクライナ人を殺害している。反ユダヤ主義でもあったウクライナ人はドイツの侵攻を歓迎し、ドイツに協力することになっていった(書籍10ページより部分変更しつつ引用)。

“Something that belongs to you” by Roald Hoffmann
≪東京・小平、石川、兵庫、岐阜、愛知、東京≫
出演:
フリーダ・プレスナー/八千草薫
エミール・プレスナー(フリーダの息子)/吉田栄作
タマール・メイブラム(エミールの妻)/保坂知寿
ヘザー・プレスナー(プレスナー夫妻の娘)/万里紗
ダニー・プレスナー(プレスナー夫妻の息子),子供時代のエミール/田中菜生
アーラ・オレスコ(ウクライナからの訪問者・ミロスワフ・オレスコの娘)/かとうかず子
映像出演:原康義 石田圭祐
脚本:ロアルド・ホフマン
演出:鵜山仁
訳/川島慶子
美術/乘峯雅寛
照明/沢田祐二
衣裳/伊藤早苗
音響/秦大介
ヘアメイク/前田節子
演出助手/藤代修平
舞台監督/小川亘
製作/渡辺江美
【発売日】2017/05/09
A席:7,000円
B席:5,500円
25歳以下:3,000円
15日のみ 全席:5,000円/25歳以下:2,000円
http://www.chijinkaishinsya.com/newproduction.html

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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