KAAT神奈川芸術劇場『春のめざめ』05/05-23神奈川芸術劇場・大スタジオ

 ドイツの劇作家ヴェデキント作、1891年初演の『春のめざめ』をKAAT芸術監督の白井晃さんが演出されます。上演時間は約2時間10分、休憩なし。東京公演は追加公演も一瞬で完売してました。

 私はとっても好きな戯曲で、2012年にSPACで拝見。ブロードウェイ・ミュージカル版(2006年)が劇団四季でも上演されていました(関連リンク⇒)。2015年には、耳の不自由な俳優が多数出演するバージョンが話題になりました。

 性に目覚める思春期の少年少女とその親たちの残酷な物語で、発表当時は上演禁止の処分を受けていたそうです。↓劇場ロビーで購入しました。
 

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≪あらすじ≫ 公式サイトより
ドイツの中等教育機関で学ぶ優等生のメルヒオール、友人で劣等生のモーリッツ、幼馴染のヴェントラ。
ある日の帰り道、メルヒオールはモーリッツに『子供の作り方』を図解で説明すると約束する。
成績のさえなかったモーリッツは、学校での過度な競争にたえられず米国への出奔を企てるものの果たせず、
将来を悲観して自殺する。
一方、メルヒオールは半ば強姦のようにヴェントラと関係し、ヴェントラを妊娠させてしまう。
自殺したモーリッツの遺品からはメルヒオールのメモが見つかり、ヴェントラとの事も発覚。
自殺の原因とされたメルヒオールは親に感化院に入れられてしまい……。
≪ここまで≫

 ここからネタバレします。

・詳しいあらすじ(公演パンフレットからの引用あり)

 ドイツの中等教育機関ギムナジウムで学ぶメルヒオール(志尊淳)は世の中に嫌気がさしている優等生。同級生で劣等生のモーリッツ(栗原類)とはよくメルヒオールの家で宿題をする親友だ。思春期の学生たちは男女ともに心身の変化に戸惑い、特に性的衝動を持て余している。しかし教師も親も性教育をするどころか、性を邪悪なもののように扱って、子供たちには考えることさえ禁じている。モーリッツにせがまれ、メルヒオールは「子どものつくり方」を詳しく図解して渡す。マスターベーションに耽る男子生徒たち。(少年たちが白い絵の具を手に取って、ガラスの壁に塗り付け、少女たちがそれに触るという、ギョっとするような卑猥な性描写)

 女生徒たちもまた第二次性徴を迎え、子供の頃よりも男女の差が明確になってきている。14歳になったヴェントラ(大野いと)は母(あめくみちこ)に長いスカートを履くように言われるが、歩きにくいから嫌だと断る。身長が伸び、女性らしい体つきになって、男子のことも恋愛対象として見るようになってきた。しかし誰も「子どものつくり方」を知らない。親が教えてくれないのだ。マルタ(北浦愛)の父は彼女を殴るし、母もむやみに厳しい。おしゃれが好きなテア(安藤輪子)は比較的自由に育っているようだが、女であることはウザイと思っている。世間は男尊女卑である。

 メルヒオールとヴェントラが森の中で偶然出会った。マルタが親に叩かれていることを知り、叩かれたことがないヴェントラは、メルヒオールに自分を叩いてと頼む。スカートをまくし上げて、太ももを出し、「叩いて」と。最初は拒否し、嫌々ながら優しく叩いていたメルヒオールだが、ヴェントラにもっと強くとせがまれ、白い足を見てから、急に強く叩き出した。ヴェントラが痛いと言っても止めない。やがて唐突に立ち去るメルヒオール。(メルヒオールがヴェントラの太ももを黙って食い入るように見つめ、そして殴りだすという禁断系エロス)

 モーリッツは進級できなければピストル自殺するとまで言っており、成績が心配で職員室に忍び込んでテストの結果を確認するほど、追い詰められている。進級できるのは60人なので、確実に1人は落とされるのだ。モーリッツは落第したら父は卒倒して母は気が狂うという。両親の過度な期待が彼にとっては脅迫に近いのだろう。メルヒオールの両親も厳格だが、母(那須佐代子)は寛容な方で、ゲーテ作「ファウスト」を読んでいるメルヒオールとモーリッツを「青少年に害悪がある図書だ」と責めはするが、本を取り上げることはしない。

 干し草置き場でまた偶然に出会ったメルヒオールとヴェントラ。メルヒオールはマスターベーションの最中だった(今回はそういう演出)。彼は無防備に近づいたヴェントラを犯してしまう。

 メルヒオールの母がモーリッツへの手紙を読み上げる。どうやら落第したモーリッツが「アメリカ行きの費用が欲しい」という手紙を書いてきたらしい。メルヒオールの母は丁寧に断る。文面は優しそうだが態度は高圧的だ。

 アメリカ逃亡の道も断たれ、モーリッツは自殺を決心した。祖母からよく聞かされた「首のない女王さま」の話を思い出していると、ちょうど美しいイルゼ(中別府葵)が現れた。彼女はとっくに落第していて男友達の家を渡り歩いている。彼女から淫らな誘いを受けるがモーリッツは断る。やがてピストルを口に突っ込み自殺する。(モーリッツは自分の顔に自分で赤い液体を塗り付けた。彼は「首のない女王さま」になったのだ)

 モーリッツの自殺という不祥事を隠したい教師たちが会議を開いている。「自殺病に見舞われたギムナジウムのうち、自殺率が25%に達したら文部省に休校を命ぜられる」のだ。モーリッツの父が「子どものつくり方」の図解を見つけ、その筆跡がメルヒオールのものだと判明。教師たちはメルヒオールを一方的に責めたてる。
 モーリッツを埋葬した墓地。親も教師もモーリッツを思いやる言葉がない。悪口ばかり。(モーリッツはガラスの外側に立っている。そこが墓碑で、ちょうど顔にあたる位置のガラスに白い絵具が塗られ、首が見えない状態になる)

 「メルヒオールはスケープゴートにされたのだ」と息子を必死でかばっていた母ファニーだが、夫(メルヒオールの父)ガポール氏(大鷹明良)からヴェントラが妊娠したことと、メルヒオールが叔父(ガポール氏の兄)に全てを話してイギリス行きの旅費200マルクを貸してくれと頼んでいたことを聞き、気持ちが変わる。メルヒオールを犯罪を犯した青少年が入る感化院に入れることに同意した。
 感化院で粗暴な少年たちに囲まれたメルヒオールだが、なんとか忍耐して少年たちと交流し、彼らの助けで脱出する。ヴェントラへの罪悪感は増していた。自分がやったのは強姦なのだ。

 ヴェントラは体調不良(おそらくつわり?)で学校を休んでいる。医師は貧血症だと診察するが、ヴェントラの母は彼女の妊娠を知っており、無理やりに堕胎させようとする。嫌がるヴェントラを立ったまま壁に押し付け、下腹部を押さえつける。そこにやってきたメルヒオールの母ファニーが、ヴェントラの母に小瓶を渡し、ヴェントラはそれを無理やり飲まされる。小瓶は堕胎薬だ。
 ※原作ではシュミット夫人が登場する。ファニーではない。

 男子生徒のヘンスヒェン(小川ゲン)とエルンスト(古木将也)が二人きりでむつみ合っている。二人は愛し合っているのだ。
 ※当時のドイツでは同性愛は処罰の対象だった。
 (今作の演出では、彼らはロフトの柵に上半身を折れ曲がるように載せて、心中したように見せていた)

 感化院を出て墓地にやってきたメルヒオール(ここで照明が一変し、客席も照らされて空間全体のイメージが変わる)は、ヴェントラの墓を見つけて嘆く(モーリッツが立っていた場所にヴェントラが立っていて、同じように顔の部分が白い絵具で見えない。メルヒオールが絵具を手で拭って墓碑銘が見えるという演出)。そこにモーリッツの幽霊が登場し(顔は部分的に白塗りになっている)、「握手をしよう(黄泉の国へいこう)」と誘うがメルヒオールは聞き入れない。得体のしれない仮面の紳士(河内大和)が現れて、モーリッツを叱責する。また、ヴェントラの死因は堕胎薬だとメルヒオールに明かした。メルヒオールは「きみに世界を見せてやろう」という仮面の紳士についていき、モーリッツに別れを告げる。

 仮面の紳士:さて、モラルのことだが、ふたつの偉大な想像物によって生みだされた実体を持つ産物だよ。ふたつの偉大な想像の産物とは、義務と欲求だ。そこから生みだされたのがモラル。現実に存在することは否定できない。
 モーリッツ:それをもっと早く知りたかった!ぼくはモラルのせいで死に追いやられたんだ。(略)
 仮面の紳士:幻想の虜になってはいかんな!(略)

・感想

 マジックミラーになっている透明の板が、何もないステージの三方を丸く囲むプロセニアムの舞台です。イスやテーブル、ベッドなどの家具はない、ガランとした空間で子供たちの群舞などの身体表現(振付:平原慎太郎)が多用されます。演出の白井晃さん曰く「(ギムナジウムの生徒たちが)ガラス張りの保育器の中でジタバタ暴れているような感じ」(朝日新聞WEBRONZAより)。KAAT大スタジオをいつもとは違う縦長に使って、観客もそのガラスケースの中に閉じ込めるようなデザインでした。私の第一印象は、実験用のモルモットが入れられているガラスケース、または水槽。観客もその中の実験台です。

 開場時間に子供を演じる俳優が客席にまばらに座っており、一人ずつ席から立ち上がってステージへと歩いていきます。その時から既に張り詰めた空気が満ちていました。
 二階部分はステージをぐるりと囲むロフトで、主に大人たちが行き来します。息ができない水槽の中でもがく子供たちを、大人たちがロフトから高みの見物、または監視する構造でした。大人の衣装はモノトーンで統一され、子供はドロップアウトした元女生徒のイルゼ以外、主に学生服です。

 少年がマスターベーションをする演技がとても多く、集団で手淫する場面もありました。少年たちが手に白い絵具をつけて、それを壁に擦り付ける動作は、自分の精液で世界を穢す行為と見て取れます。白い絵具を直接手にするのは男性のみで、女性はガラスの上の絵具に触れます。ギョっとするような卑猥な性描写ですが、非常に有効だと思いました。禁じられた行為によって世界に否と意思表示しても、所詮はガラスケースの中という残酷さが際立ちます。

 2人とも自殺したと思われるゲイのカップル(ヘンスヒェンとエルンスト)は下手のロフトにいたので、彼らはガラスケースからは飛び出していたんですね。でも外界では生きていけない。学校から脱出したイルゼが誰かに抱かれている場面は、ガラスケースの外側で行われていました。また、死んでしまったモーリッツとヴェントラの墓も、イルゼがいた同じ場所にありました。

 私が以前に観たイタリアのテアトロ・マランドロによるオマール・ポラス演出『春のめざめ』(2012年、SPAC招聘)では、俳優が顔を白塗りにして人形のように動き、人間関係を戯画的に表現していましたが、今回は教師、親を含む大人たちが狂信的に他者、つまり子供たちを取り締まる様子をシリアスな演技で見せていました。教師たちの会話場面が部分的にカットされており、そのために抑圧的な空気が途切れなかったのだろうと予測します。
 メルヒオールの両親を演じた大鷹明良さんと那須佐代子さんの激しいバトルが素晴らしかったです。夫が妻を見下す関係性をしっかり維持しつつ、激昂する妻を夫が上手に操り、コロリと考えを変えさせてしまう。妻(=母)が子供を守るより自分を守る方へとシフトする瞬間が恐ろしいです。

 それにしても、親がなぜあんなに高圧的なのか、子供に知識も自由も与えず、暴力で死ぬまで抑え込んでしまうのかが、今の日本を生きる私には不思議でした。大人も権威、世間に縛られ、恐怖にかられていたからなのでしょうね。白井さんはインタビュー(朝日新聞WEBRONZA)で、「社会が子どもたちに与えるプレッシャーというのは、何も変わっていない」とおっしゃっています。そういえば各自スマホを持てたとしても、友達やネット上の世間からも見張られ続けていますよね。私が今の10代の子供たちの現状を知らないのかもしれません。学ぶことが多いです。

 劇場の表情をすっかり変える白井演出は、これまでのKAATでの作品(『Lost Memory Theatre』『ペール・ギュント』『夢の劇―ドリーム・プレイ』『マハゴニー市の興亡』)と同様ですが、今回が初めての大スタジオ(約220席)での演出でした。やはり密度が高く、照明の効果も増していると思います。不安と焦り、息苦しさを盛り上げる不穏な現代音楽(降谷建志 ふるや・けんじ)の存在も大きかったです。ぎゅっと凝縮した閉塞感が途切れないのは、最後の10分間のためだったのか!と思いました。それほどにラストは異世界でした。

 感化院を脱出して墓地にやってきたメルヒオールがヴェントラの墓碑を発見し、首のない幽霊となったモーリッツと出会うと、“仮面の紳士”(河内大和)が客席通路から現れます。ここで照明が客席も照らし、空間全体を一変させます。ギムナジウムも家も感化院も消えて、墓地が現実を超えた世界になり、そこに観客も参加しているのです。生者と死者、そして得体のしれない誰か(“仮面の紳士”)との論争は、観客を含む現代人への問いかけでもありました。どんな時代も人間はさまざまな事物にがんじがらめになっているが、それは自業自得。果たして人間は自分の意志で生きることができるのか。そしてそれは幸せなのか。

 メルヒオールとモーリッツが読んでいたゲーテ作「ファウスト」に登場するグレートヒェンは、ファウストとの間に私生児を生み死んでしまいます。ヴェントラの行く末を暗示していますし、最後にメルヒオールを迎えに来る“仮面の紳士”はメフィストフェレスかもしれません。“仮面の紳士”を演じた河内大和(こうち・やまと)さんは、モーリッツの父、ヴェントラを診察する医師も演じています。ガラスの向こう側で美しいイルゼを背後から抱いていたのも大和さんでした(たぶん)。敵か味方か、神か悪魔か。預言者、支配者であることも匂わせました。⇒「ファウスト早わかり

 幽霊のモーリッツは戯曲のト書きどおり首を持って出てくるのではなく、顔を部分的に白塗りにしていました。ピストル自殺した時は赤い絵具を塗って、死者になると白い絵具なんですね。小道具、大道具が極端に少ない美術で、たくさんの人が創造的なお仕事をしてくださったのだろうと思いました。

 白井さんは敢えて舞台経験が少ない若者をキャスティングしたそうです(「ぴあ+」のインタビューより)。それが功を奏したのかどうかは観客の私にはわかりませんが、演技の拙さはほとんど気になりませんでしたし、心をぴたりと合わせる一体感も、互いに挑発し合うようなライヴ感もあり、とても好感を持ちました。ある出演者によると「まるで劇団のように訓練をした」そうです。だから息を合わせた群舞もリフティングもできていたんでしょうね。ありがたいことだと思います。日本は演出家が演技指導をしなければいけないという残念な状況にありますが、指導を受けた俳優が増えれば、少しでも改善できるのではないかという期待は捨てずにいたいと思います。

■引用

●朝日新聞WEBRONZA「白井晃演出×志尊淳主演で『春のめざめ』を上演・19世紀後半の赤裸々な物語は現代との相似形

 白井:ギムナジウムといわれている学校をどういう風に捉えるか。チラシにあるように、彼らが外の世界に飛び出せないように、保育器の中に閉じ込めてしまいたいと思っています。まだまだ未成熟で、社会の中に飛び出せない彼らが、ガラス張りの保育器の中でジタバタ暴れているような感じですね。飼育されているハツカネズミのような状態。上から観察されて、どういう風に大人になり、そこからどう出ていくのかという象徴にしたい。空間そのものをそういう風にイメージできればいいなと思っています。

 白井:何故、この作品に惹かれたかといいますと、19世紀後半と昨今の時代背景が、とっても酷似している印象を受けたからです。産業革命は今のIT革命、資本主義の発展はグローバル経済の発展といった相似形を感じるのです。現代は過去の拡大した形で物事が起こっている。その中で、僕たちが変わってきているのかというと、根本的な形で子どもが生まれ社会に出ていくということ自体は何も変化していない。子どもたちを囲む環境も、戯曲とは相似形をなしていて、今と同じような環境ではないかと。道徳や教育的なことはドンドン変化はしているんですけれど、社会が子どもたちに与えるプレッシャーというのは、何も変わっていないというような気がします。

■ニュース

■出演者

■観客のツイート

≪神奈川、京都、福岡、兵庫≫
【出演】メルヒオール:志尊淳、ヴェントラ:大野いと、モーリッツ:栗原類、ヘンスヒェン、ラインホルト:小川ゲン、イルゼ:中別府葵、マルタ:北浦愛、テア:安藤輪子、エルンスト、ディ-トヘルム:古木将也、レンマーマイヤー、ルーブレヒト:吉田健悟、オットー、ヘルムート:長友郁真、ゲオルグ、ガストン:山根大弥、あめくみちこ(ヴェントラの母ベルクマン夫人、他)、河内大和(モーリッツの父シュティーフェル氏、教師、医師、仮面の紳士、他)、那須佐代子(メルヒオールの母ファニー・ガポール夫人、他)、大鷹明良(メルヒオールの父ガポール氏、校長)
原作:フランク・ヴェデキント
翻訳:酒寄進一
音楽:降谷建志(ふるや・けんじ)
構成・演出:白井晃
美術:木津潤平
照明:大石真一郎
音響:徳久礼子
衣装デザイン:伊藤佐智子
ヘアメイク:稲垣亮弐
振付:平原慎太郎
演出助手:豊田めぐみ
舞台監督:田中直明
プロダクション・マネージャー:山本園子
技術監督:堀内真人
【企画製作・主催】 KAAT神奈川芸術劇場
【共同製作】 ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)
【発売日】2017/02/18
<全席指定>
プレビュー公演(5月5日・6日)
5,000円(各種割引料金はございません)
本公演(5月7日~23日)
一般:6,500円
U24チケット(24歳以下):3,250円
高校生以下割引(高校生以下):1,000円 
シルバー割引(満65歳以上):6,000円
※U24、高校生以下、シルバー割引は、チケットかながわの電話・窓口で取扱(前売のみ、枚数限定)
※未就学児入場不可
https://www.harumeza.jp/

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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