NNTD actor’s Project・地平線『贖い(あがない)』09/22-25アトリエ春風舎

贖い(あがない)
贖い(あがない)

 稽古場レポートを書かかせて頂いた公演の初日を拝見しました。地平線は俳優の野坂弘さんが立ちあげた演劇ユニットで、演出の野坂さんを含め出演者、制作者らが新国立劇場演劇研修所の修了生で構成されています。

 『贖い(あがない)』はオーストラリアの女性劇作家ジョアンナ・マレー=スミスさんの戯曲で、本格的な劇場上演はおそらく日本で初めて。5年振りに都会のゴージャスな高層マンションの一室で再会する、大人の男女の二人芝居です。上演時間は約1時間45分、カーテンコール込み。

 20代の若者による旗揚げ公演らしいと言いましょうか、初日のステージは緊張と恐怖、そこから来る怒りのようなものが空間を支配していたような…。戯曲の内容も濃密なので余計にそう感じたのかもしれません。明日以降のステージではそれがほぐれて、観客と一緒に楽しむ遊びの時間や、思考が広がる余白ができていくといいなと思いました。

 読んだだけではわからなかった戯曲の詩的要素を確認したり、人間の声と体を通した言葉の分厚さ、温かみを味わうことができました。やっぱりいい戯曲ですね~!

 ⇒CoRich舞台芸術!『贖い(あがない)

 ≪作品紹介≫ チラシより
 再会した2人。彼らは互いに何も見えていない。やがて対話が切れ切れの事実を紡いでいく。
 密室 男と女 死 5年間 階級 人生の選択 欲求 沈黙 罪…
 言葉を発したその瞬間、何もかもが見えてしまう。
 緻密なダイアローグ、中産階級の葛藤、繊細な人物造形。現代社会への切り口が国境や世代を越えて共感を呼ぶ、オーストラリアの代表的作家ジョアンナ・マレー=スミス珠玉の会話劇。希少な日本上演!
 ≪ここまで≫

 劇場に入って左側が客席、右側が舞台となったプロセニアムの空間。天井には新聞紙や楽譜が貼られたパネルが数枚吊られています。中央の演技スペースにはオットーマン1脚と、背もたれのあるイスが2脚と、小さなテーブル。テーブルの上には丸いバゲット(の半分)とお酒。床には破られた白い紙切れ(新聞紙?雑誌?)が散らばっています。

 長細くて高さ20cmぐらいの黒い台が、舞台と客席の間を横切るように床に設置され、それとつながる形で、上下(かみしも)にも黒い台が置かれています。ただし上下の台は腰の高さまであります。演技スペースを四角く囲むので箱庭のような印象もあり。舞台奥に浮かぶように吊り下げられた、白い針金(?)でかたどったオブジェが目立っていました。

 約1時間45分もの長時間、登場人物は2人だけ。当然ですがセリフは膨大です。場面は“密室”のままで、会話の時間がそのまま流れます。意外で、不都合な事実が徐々に暴かれていき、その都度、現代社会の問題を突きつけられ、哲学的な問いかけもあって、頭はフル稼働。こういう刺激を味わえることにちょっと興奮します♪

 ワケありの2人は時間の猶予がなく、居場所も不安定で、お互いに逃げ場がないことを知りながら、追い詰め合います。小さな劇場でもあるせいか、私も彼らと一緒に息苦しくなりました。また、徐々に明かされていく事実がショッキングでヘビーな上に、量も多いんですよね。怒りがストレートで大きいので、アップアップしてしまいました。演技(反応)のグラデーション、バリエーションをもっと増やせるんじゃないでしょうか。

 出演者のお2人は、難物の二人芝居をしっかり体に刻まれたのだと思います。セリフの言い間違いはあっても、役人物が言いよどんだ風に受け取れたので気になりませんでした。俳優が観客の方を向いてセリフを言い、役人物を通じて劇作家と会話ができたように感じたところと、みっともなさが可愛らしく見えて笑えたところが良かったです。ああいう瞬間をこれから増やしてくださるといいなと思います。

 これは私個人が常々、勝手に思っていることなのですが、お客さんは敵ではなく一番の味方です。舞台の作り手の皆様に信じてもらえたらな~と思っています。

 ここからネタバレします。セリフは正確ではありません。これからご覧になる方はお読みにならないでくださいね!

 人気チェリストのジェイコブが16歳の黒人の少年(名前はケヴィン・ミラー)に道端で殺害され、ジェイコブの弟サム(坂川慶成)は、ジェイコブの元妻のイーディー(高橋美帆)を呼び寄せます。イーディーは5年前に突然、夫のもとを去り、フランスのパリで小説家として成功していました。サムは豪華な高層マンションで暮らす兄とは対照的な性格で、大金持ちの実家を出てスラム街に居を構え、下層階級の青少年を現場に居ながら助ける仕事をしています。

 サムはランニング・シャツの上にカジュアルなボタン付きシャツを羽織り、下半身はジーンズという軽装。対してイーディーはベリーショートのパリっとしたヘアスタイルに、銀色のシャープなデザインのワンピース、その上に黒いジャケットを着ています。家柄と裕福な暮らしを自分から捨てて、劣悪な環境で低賃金で長時間労働をするサムと、田舎の平凡な家庭で育ち、玉の輿に乗って自己実現も果たしたイーディー。出自も現況も正反対の男女です。

 ジェイコブの葬式を翌日に控え、遺品となった家財道具を前に久しぶりに再会した2人。サムには勝手にいなくなったイーディーを責める気持ちがあり、イーディーは5年振りの我が家で、夫婦の思い出の品が見つからないことにショックを受けています。元夫ジェイコブの家には、自分が存在した形跡が全くない…(1枚の写真を除く)。
 ジェイコブがブイヤベースを作れるほどの料理好きになっていたこと、部屋が清潔でセンスよくコーディネートされていることから、イーディーは「ジェイコブが自分がいない内に成長してる」「彼には女がいたんじゃないか、自分はその女に敗北した…」という劣等感にかられて、若干取り乱します。その演技が可笑しくて、魅力的でした。

 貧しい黒人の少年は恋人に振られた腹いせに、偶然通りかかった白人男性を殴り殺した…それがジェイコブの死因でした。サムは「醜い現実から目をそらしてきたブルジョアへの報復、ジェイコブはその犠牲」といった受け止め方をしており、イーディーは逆上します。サムはひるまず、イーディー自身が頂上にいて、下を見ない振りをしている張本人だと責めます。やがて明るみに出たのは、ジェイコブを殺した黒人の少年は、サムが働く施設への入所経験があり、彼を刑務所送りから救ったのもサムだったという事実。なんとも皮肉です…(客席から鼻をすする音が聴こえました)。サムが豊かさから自分を切り離し、黒人の少年らの世界に自らを置いて、彼らのために自分を酷使しているのは、償いのためなのか。イーディーはそう指摘しながら、「それが何の役に立つの?(立たなかった!)」と追い打ちをかけます。

 傷つけあう2人が実は愛し合っていたとわかるのが大詰め。一夜を共にして愛を確かめ合ったのに、イーディーが一人でパリへと消えたのはなぜなのか。サムは自分がこの5年間、どれだけ辛い日々を送ってきたかと訴えます。そしてイーディーが告白するのです。それはジェイコブが2人の仲に気づき、「サムと一緒になるなら僕は自殺する」と言ったから…と(それなのに、ジェイコブはイーディの思い出を消し去っていた)。
 会話の中のほんの少しのヒントだけで背景を積み上げて、複雑な過去とそれが導いた現在を形作っていきます。見事な戯曲だと思いました。

 「この場面で○○して、あの場面で△△して…」と演出家が決めて、俳優に振付をしていくのはよくあることです。でも、稽古場レポートに書きましたとおり、演技についての演出がすごく細かい上に、俳優が自主的に動き、語ることもルールになっています。おそらく立ち位置や動きはそれほど厳密には決まっていなくて、重要なポイント以外は、その場の状況次第で自由に俳優が決めているのだろうと予想します。そこがこの座組みの個性というか、愚直に、大切に、挑戦しているところなのかもしれません。

 ただ、素人考えですが、もっと会話や意味から逸脱するような抽象世界を作り出す工夫を、意図的に提示してもいいのではないかと思いました。マンションの一室での会話劇とはいえ、照明も音楽も音響も使って、盛り上げたり装飾をしたりされていますので。たとえば観客に向かって素で話しけるとか、短いセリフのやりとりを言葉遊びの時間にしてしまうとか、象徴的な身体表現をもっと取り入れるとか(浅知恵ですが)。長時間の戯曲でもあるので、思い切った演出(振付?)があっていいと思います。物語だけでなく、そこから立ち上がる形のない夢のようなものも受け取りたかったですね。

 舞台奥の中央の空間に浮いていたのは、ル・コルビジェの椅子LC2(グランドコンフォート)の形のオブジェでした。それに光が当たり、死んだジェイコブ、又はセレブな生活を象徴していたようです。ただ、素材が安っぽいのが難点。あの物体がなくても、光を落とすだけでジェイコブの存在を暗示することはできたのではないかと思いました。また、サムがグラスを取りに行く時などに、オブジェの真横を通って下手奥にはけるので、その距離感が不自然な気がしました。

 音楽は全てこの公演のために作曲(松田幹)されたそうです。贅沢ですね!最初の方でテープ(?)から流れるチェロの演奏は本当に語り掛けて来るようで、音楽鑑賞として独立して楽しめるほどでした。ただ、あの場面については、音楽が演技に勝ってしまっていたように感じました。ジェイコブの存在感を示す効果があるのかもしれませんが、お芝居の空気が途切れたような気もしました。

 終演後に駅で偶然会った観客の方々とお話をしたところ、「緊張感があって退屈することがなく、とても面白かった」「俳優2人が潔くて素晴らしい」「戯曲が面白い。でも、最後になぜ2人がキスするのかわからなかった」といった感想が。たしかに…そういえばキスしたくなるほどの恋愛が、今日のサムとイーディーの間には見えなかったですね。2人は心の底では再会を待ちわびていただろうし、見つめる度に恋しい気持ちが沸きあがっていたはず。思わず見とれて、ニヤけてしまったり、それに気づいて恥ずかしくなったり…。そんなみっともなくて可愛らしいところ、セクシーなところがもっと観たいですね。

 ↑関係者イベントが開催されました(⇒前回・こちらも非公開です)。

出演:高橋美帆 坂川慶成
作:ジョアンナ・マレー=スミス
翻訳:家田淳
演出:野坂弘
舞台監督・照明:黒太剛亮(黒猿)
照明オペレーター:小川優(黒猿)
音楽・音響:松田幹
美術製作:遠藤哲司
ドラマターグ:田中圭介
制作:窪田壮史
デザイン:荒巻まりの
企画制作:地平線
協力(個人):塩川有美 高野しのぶ 千葉才子 中島陽香 野口俊丞 森下康之
後援:新国立劇場演劇研修所
一般 3500円
学生 2000円 / 高校生以下 1000円
平日昼割 23日(金)昼公演 3000円
団体割引 3人でご予約の方は3人で 9000円
※全席自由
※上記は予約のみ、当日はそれぞれ+300円
【『贖い』アフタートークまとめ】
22日19時 大池容子(青年団 うさぎストライプ)
23日19時 田野邦彦(青年団 RoMT)
24日19時 田中圭介
25日13時 家田淳
https://www.facebook.com/events/1263216503719195/

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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