地人会新社『テレーズとローラン』09/09-19東京芸術劇場シアターウエスト

テレーズとローラン
テレーズとローラン

⇒CoRich舞台芸術!『テレーズとローラン

≪あらすじ≫ 公式サイトより
いつも通り、ラカン一家と週に一度のカード遊びをするために、銀細工通りの小さな家を訪れた予審判事・マルタン(木場勝己)は、異様な光景を目の当たりにした。  2人の男女がお互いの腹を刺し合い、死んでいる。近所でも親孝行で評判のおしどり夫婦、テレーズ(奥村佳恵)とローラン(浜田 学)だ。そして溢れる血溜まりの中、椅子に座った1人の婦人が、死体をじっと見つめている。2人の義理の母、ラカン夫人(銀粉蝶)だ。 ラカン夫人は病気のため四肢が動かず、もう長いこと口もきけない。しかし彼女の瞳は大きく見開かれ、何かを告発するような輝きを放っていた──。
≪ここまで≫

ここからネタバレします。

テレーズ(奥村佳恵)が最後に女として、というより、人間としての自我に目覚める演技が好きでした。確信に満ちていて、力強くて、信じられました。『人形の家』のノラの姿も重なって見えてよかったです。

振り返ると、登場した4人全員が他人の言うことを聞かない人物だったなぁ…と。マルタンはお気楽マイペースで、ラカン夫人はもともと暴君だった上に、病に倒れてからは動けないし話せない。テレーズはラカン夫人にひどく抑圧されていて、自我の目覚めや自由を渇望していた…とすれば、ローランのことを本気で愛していたわけでもなさそう(恋は本物でも、ローランは目的のための手段でしかない)。ローランはローランで一人暮らしの運送会社社員として困窮してたから、ラカン夫人の家に入って「家賃を払う必要がなくなった」と安堵してたし。おかげで絵を描く余裕もあった。若い2人は犯罪を犯して以降の取り乱しっぷりからして、とにかく追い詰められていて、他人のことなんて考える余裕がなかった。

だとすると、やはり、テレーズとローランが恋を謳歌していた場面(つまりこの戯曲では最後の場面)には、2人が人間らしく呼吸をして、お互いを見て、受け入れ合って、この上ない幸せを味わっていた…という空気が欲しかったかもしれないですね。それはこのお芝居のラストとしてもふさわしいと思います。

↓演技について考えたこと。

舞台上でありのままに役人物として生きようとしても、技術がないからできない。技術を使うことに長けすぎてそれに夢中になると、舞台上で生きられない。やはり両立が必要なのでしょうね。

[出演] 木場勝己 奥村佳恵 浜田学 銀粉蝶
原作: エミール・ゾラ Émile Zola “Thérèse Raquin”
作・演出:谷賢一
美術/長田佳代子 照明/松本大介 衣裳/伊藤早苗 音響/加藤温
演出助手/井上裕朗 舞台監督/福本伸生 製作/渡辺江美
【休演日】9/12(月) 前売り開始 2016年 7月27日(水)
[全席指定・消費税込]一般 6500円/25歳以下 3000円
http://www.chijinkaishinsya.com/newproduction.html#therese

※クレジットはわかる範囲で載せています(順不同)。間違っている可能性があります。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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